行きは国道6号常磐バイパス、帰りは海岸道路を。同じ道を往復するのはおもしろくない。きのう(12月2日)朝、読みたい本があったので鹿島ブックセンターへ出かけた。
海岸道路は大津波被害に遭った豊間や薄磯を通る。両地区とも西側の山を切り崩して出た土砂を東側の海岸に運び、高台には住宅を、海岸には防災緑地をつくる大工事が進行している。平日なのでダンプカーがひっきりなしに往来していた。行くたびに、通るたびに両地区の風景は変貌している。
まず豊間――。内陸側に復興商店「とよマルシェ」がオープンしてほぼ1年になる。そこから少し離れているが、反対側に災害公営住宅の「豊間団地」ができた。団地入り口に歩行者用の信号機が設置されていた=写真。間もなく供用が開始されるだろう。復興商店も一部テナントが変わるか、変わったらしい。真ん中の店の明かりがついているのか消えているのかよくわからなかった。
薄磯へ――。ここはいわきで最も変貌しつつあるところではないだろうか。被災住民には「異世界」のように映るらしい。先日、薄磯で喫茶店を開いていたカミサンの知人が久しぶりにわが家へやって来た。会えば3・11の話になる。
海のそばに店舗兼自宅があった。海側の1階が車庫、2階が喫茶店で、店舗部分は津波に持っていかれたが、自宅は1階の壁をぶち抜かれながらも残った。知人は大津波が押し寄せてくる前に、近くの小学校へ避難した。家々が押し流されるときに土煙りが舞い上がった。知り合いが何人も津波にさらわれた。自分たちも義理の弟夫婦など身内を6人失った。
上記の話は、被災地に一般人も入れるようになった最初の夏に本人から聞いた。薄磯を訪ねると、1軒だけぽつんと残った自宅に知人も避難先から来ていた。日中堂々と、空き巣がボランティアを装って自宅から物を運び出すのを近所の人が目撃していたという。
現在の心境も率直に語った。海岸堤防の続きに防災緑地ができる。「海が見えないんだよね」。海を見ながら暮らしてきた。それができなくなる。私もきのう、海岸なのに「切り通し」を通っているような印象を受けた。それでも、もうすぐ5年。わが家へやってくるようになったこと自体が、少しは元気になった証拠だ。
「そうだ、テレビに出たね、写真に撮ってあるよ」と振ると、「突然、やって来たんだ」。常磐で再開した店にアポなしで若い女性たちとNHKの取材陣がやって来た。9月25日放送の<東北Z「被災地
極上派 福島県いわき市」>だ。それに知人が登場した。これが11月1日に全国放送になったという。
彼女にはアポなしがよかったらしい。素のままの自分でいられた。新聞やテレビに登場すると、曲解されることがある。それで、あらかじめ取材とわかっていれば断っていた、といっていた。
震災直後、生きていることに感謝し、ハグしあった間柄でも、時間の経過とともに厳しい言葉の矢を放ってくることがある。私もそれで心の中で絶交と決めた人間がいる。大災害が人の本質をあぶりだした、という話で一致した。
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