テレビばっかり見てるんじゃないの、といわれそうだが――。12月11日の<東北Z>は「100年後の誰かへ――浪江町赤宇木(あこうぎ)・村の記憶
戦後編」だった=写真。「戦前編」は9月4日に放送されたが、よその家にいて見逃した。
赤宇木は、1F(いちえふ)から北西20~30キロ圏内に位置する、阿武隈高地の山あいの集落。30キロ以遠ながら早くから高濃度汚染を報じられていた飯舘村の南隣にあり、高濃度汚染地区にもかかわらず、住民がほったらかしにされていた。たまたま通りかかったNHKのETV特集取材班によって、高濃度汚染が集会所に避難している人々に伝えられた。
原発事故から2カ月後、最初のETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」が放送され、総合テレビで再放送されるほど大反響を呼んだ。のちに取材班の仕事は『ホットスポット
ネットワークでつくる放射能汚染地図』(講談社、2012年刊)にまとめられる。
「100年後の誰かへ――」は、赤宇木などの放射能汚染を初めて明らかにしたETV特集取材班のディレクターの1人が制作した。80戸が暮らした山あいの小さな集落がある日突然、「帰還困難区域」になる。「戦後の開拓から酪農への挑戦、出稼ぎと、村人たちは隣町にできた原発の恩恵を受けることなく、懸命に働き生きてきた」。その集落の歴史を掘り起こす取り組みを追った。
ディレクターが仙台放送局に移ったことは、2015年1月16日放送の東北Z「生命(いのち)に何が起きているのか――阿武隈山地・科学者たちの挑戦」で知った。番組の終わりに表記されるディレクターの名前に記憶があった。
そのディレクターが放射能汚染報道の原点ともいうべき赤宇木を舞台に、ドキュメント番組をつくった。NHKでは最も早くから阿武隈高地に足を運び、今も通っているディレクターの筆頭ではないだろうか。
なにも悪いことをしたわけでもないのに、ある日突然、むらを、まちを追われた人々の無念と怒り、やりきれなさと悲しみ――。私自身、同じ阿武隈の産なので、ディレクターの避難者への共感、生きものへの温かいまなざしがよくわかる。会ったことも話したこともないが、番組の手ざわりというか、雰囲気から敬意を抱いてきた。今回もそうだった。取材の蓄積が生きている。
さて、締めもテレビの話になってしまうが――。<東北Z>を見た前々日、BSプレミアム<世界で一番美しい瞬間(とき)>に見入った。「
妖精の森が輝くとき スウェーデン北部地方」を“旅”しながら、うめいた。「自然享受権(アッレマンスレット)」を楽しんでいるスウェーデン人。対する「あぶくま人」は……。いまだに思い出のなかでしか森のキノコを採れない。
北欧諸国では、その土地の所有者や生態系に損害を与えないという条件つきながら、誰でも他人の土地に立ち入って自然環境を享受できる権利が認められている。夏のベリー摘み、秋のキノコ採り、ハイキング、野営……。
阿武隈は震災前、豊かで美しい里山、澄んだ空気、清らかな水、日本の原風景ともいえる景観、さまざまな農産物、伝統文化、生活文化を体感できること、つまりは自然享受権を行使できることが「売り」だった。
田村市常葉町の鎌倉岳に登った劇作家の田中澄江さんは、頂上からの眺めを「スイスの山村さながら」(『花の百名山』文春文庫)と評した。その山から北東~北の方角に全村避難を強いられた葛尾村や「ダッシュ村」、赤宇木、飯舘などがある。南北に長い「東洋のスイス」の、その一帯がたまたま南東の海からの風と、西からの雨・雪とでいまわしいものに汚染された。
一般市民もまた自然享受権を侵害され、精神的苦痛を強いられている。損害賠償の訴えは可能かどうか、知り合いの弁護士に酒席で聞いたことがある。「損害額が算定できるのか」と問われてシュンとなった。東北Zと世界で一番美しい瞬間から、またまた阿武隈に思いがめぐった。
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