「友人代表ということで『精進あげ』までいてくれ」。最後まで「母上」を見送るつもりでいたので否(いな)やはない。新聞に折り込まれる「お悔み」情報で95歳の「母上」の死を知り、小名浜の友人宅へ駆けつけたときのことだ。
2日後のきのう(12月5日)。正午から「母上」の告別式が行われた。終わって墓所=写真=へ行き、斎場に戻って「精進あげ」が行われた(なぜ斎場では「精進おとし」というのか、いわきでは「精進あげ」なのに、といつも思う)
20歳前後から、友人の家に行って飲んでは泊まり、「母上」に世話になった話を、おととい書いた。友人の叔父の家にも、酔った勢いで出かけては泊まった。最初から飲みに行くこともあった。というわけで、「母上」にも「叔父さん」夫妻にも頭が上がらない。「精進あげ」では「叔父さん夫妻」の席の間に案内された。
福祉のエキスパートだった「叔父さん」は、75歳の今も福祉の現場にいる。「『生涯現役』なんだ、おれも『生涯文章書き』で通したい」というと、「書かなくなったら終わり、と思えばいいんだな」といわれた。
保育のプロの奥さんとは3・11の話になった。海に近い保育所の責任者だった。「避難できる高台はない、高い建物もない」。大地震に遭遇して、(津波が来て犠牲者が出たら)やめる覚悟をして対処したという。
「叔父さん」が発達障害と個性の輝きの話をしたので、「自閉症の青年が書いた本を買った。全部読んではいないが、『表現』の原点をみるような感じがした」と応じた。NHKのドキュメント番組を見て興味を持ち、本屋へ駆けつけた。東田直樹著『跳びはねる思考』(イースト・プレス、2014年刊)。帯に「たとえ、うまく話せなくても、心には、言葉を持っているのです。」とあった。
本の一節。「苦しくてたまらなくなると、空を見上げます。/目に飛び込んでくるのは、抜けるような青空と白い雲です。見ている僕はひとりぼっちなのに、世界中の人とつながっている気分になります」「僕が青空を見て泣けてくる気持ちは、こだわり行動をしている時の気持ちに少し似ています。せつなくて、寂しくて、どうしようもないくせに幸せなのです」
スタイルは「散文」だが、私には根っこに「詩」が生きていると感じられた。それを裏付けるように、「人生という物語が、いつ終わってしまうのかわかりませんが、僕は、ひとつひとつのできごとに解説が必要な長編小説ではなく、単純明快な詩を描き続けたいのです」という文章もある。「叔父さん」が向き合っているのは、こういう個性の人たちなのだろう。
「叔父さん」と話すのは何年ぶりだったか。会えばいつも根源的な話になる。ついでに恥多い青春の日々の一コマをさしはさんでくる。「靴下を脱いで寝ろ、と言ったのに、そのまま寝てしまった」「……」。靴下さえ脱げないほど全身がアルコール漬けだった、とは言えなかった。
「今度、泊まりに来たら」「いやぁ、もうそういうことは……」「では、いわき駅前の『○×』(言われたが店の名を忘れた)でやろう」ということになった。
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