2015年12月22日火曜日

今年最後のイベント

 いろんなことがいっぺんに押し寄せてくるときがある。12月19日午後、いわき地域学會の市民講座(講師は小宅幸一幹事)と役員会。翌20日午後は、「ぶらっとクリスマス会」(シャプラニール=市民による海外協力の会主催)と、「いわき学検定・第2次試験」(いわき地域学會主催)。
 合間に、ゼミ生を引率してやって来た東洋大子島(ねじま)進教授と1年ぶりに会って話し(19日夕方)、孫のクリスマスプレゼントの買い物につきあった(20日午前)。19日朝には行政の回覧物を一日早く仕分けし、区の役員さんに届けた。珍しく前倒しで義務を果たしたので、せいせいして行事に加わることができた。

 常磐・古滝屋での「ぶらっとクリスマス会」には始まりと終わりに参加者の一人として、平・生涯学習プラザでの「いわき学検定」には主催する側の一人として顔を出した。

「ぶらっとクリスマス会」には、東京のシャプラ事務所スタッフも加えて、いわき市の地震・津波被災者と双葉郡からの原発避難者合わせて80人ほどが参加した=写真(会が終わったあとの記念撮影)。

 借り上げ住宅にいる人、応急仮設住宅にいる人、市の災害公営住宅・県の復興公営住宅に入った人、帰還した人、いわき以外に土地と家を求めて移った人、私らのように傷んだ家にそのままいる人……。被災者の境遇はそれぞれだ。が、東日本大震災と原発事故からの5年近くを、だれもが必死に生きてきた。今も生きている。

「ぶらっと」はラトブからイトーヨーカドー平店、スカイストアへと場所を変えながら活動してきた。言葉を交わすようになった人とは、主にヨーカドー時代に知り合った。参加者の大半は知らない人だったが、情報紙「ぶらっと通信」、その後の共同情報紙「一歩一報」を通して「ぶらっと」とつながっていたのだろう。

 シャプラがいち早く立ち上げた交流スペース「ぶらっと」は、震災から5年の節目の翌日、2016年3月12日に幕を下ろす。それを告知しながらクリスマス会の案内を伝えたせいか、スタッフと利用者、利用者とボランティア、利用者と利用者の“同窓会”を兼ねたクリスマス会になった。

 双葉町から避難し、いわき市の男性と結婚した元「ぶらっと」スタッフがいる。活発にハイハイするようになった長男を抱っこして参加した。「あんた、いつの間に子どもを産んだの?」と驚く元利用者がいたそうだ。

 シャプラがバングラデシュで活動を始めて40年余。創立メンバーがいわき出身の友人だったこともあって、設立当初からかかわってきた。またまたこの場を借りていうのだが、この5年間、シャプラはいわきで人材と予算を投入して頑張ってくれた。

「ぶらっと」として最後のクリスマス会は、本来の業務に専念するためのカウントダウンの始まり――と、ひとり勝手に思いながら、震災直後からいわきで活動を続けてきた現事務局長のしめのあいさつを聞いた。

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