カミサンの実家(米屋)では師走に入ると、お得意さんや親類に、もちを配る。結構な量になる。
もちは電気もちつき器でつくる。もち米は、ドラム缶を利用した“まき釜”に蒸籠(せいろ)を三段重ねにして蒸す。釜の水を沸騰させ、その蒸気でもち米をふかす「釜じい」(火の番)が私の役目だ。白もち、豆もち、のりもち、ごまもちがそうしてできる。
「釜じい」の仕事は燃料のマキを絶やさないこと。しかし、ただ補給すればいいというものではない。ドラム缶の奥にまきを入れると煙突に炎が抜ける。手前に置くと火口から炎があふれる。中央の釜に炎を集中させないといけない。一年に一度だが、長年やっているので、少し時間がたてばコツみたいなものを思い出す。火口から炎があふれないようにだけ注意した。
1カ月ほど前、いわき市暮らしの伝承郷で収穫祭が開かれた。いわき昔野菜保存会が芋煮汁をつくり、伝承郷のボランティアがもちつきを担当した。昔野菜保存会は伝承郷の畑を借りて昔野菜を栽培している。そのため、会員が伝承郷ボランティアの登録もしている。要するに、伝承郷ボランティアがイベントを支えた。
もちつきと試食会は旧猪狩家で行われた。もち米は隣接する旧高木家のカマドで蒸した=写真。
写真を撮った時点では、まだ蒸籠は載っていない。釜の水を沸かすためにマキがくべられた。炎はかまどの中にあった。このあと、若い女性が火の番をしたら、カマドの外に炎があふれ出た。ベテランのおばさんが見かねてマキを直し、炎をかまどの中に押しこめた、というシーンに遭遇した。火の番は簡単なようで難しい。ましてや、初めてなら。
高度経済成長期を境にして、家の暮らしが一変した。カマドから蒸しがま、ガス・電気釜に替わり、たらいと洗濯板が電気洗濯機に替わった。今やローテクノロジーはハイテクノロジーに取って代わられた。しかし、昔ながらの生活技術を葬り去ったら、次のハイテクは生まれないのではないか、という思いもある。
プロから見たら「ままごと」でしかないが、野菜を栽培する、漬物をつくる、キノコや山菜を採る、といったことを続けているのは、自分なりに生活技術を伝承しようとしてのことだ。子どものころ、いやいやながら蒸しがまでご飯焚きをさせられた、風呂の水くみをさせられた、まき割りをさせられた――高度成長期の前の、そうした家事体験が大きい。
循環型社会がいわれる今は、むしろこうした生活技術の再発見・再活用が大事になってくるのではないか。伝統はいつも、そのときの創造的なアイデア、センスを取り入れ、時代に合ったものに変えながら継承されてきた。現代の科学技術と伝統的なローテクを結びつけた「新ローテク」はまだまだ可能なような気がする。
と、能書きはそれくらいにして――。「釜じい」の楽しみは、昼メシ。毎年、取引先の平・魚栄に「うな重」を頼む。作業の合間にかっこむようにして食べた。今年はみやげに、内郷・四家酒造で買ったという「又兵衛
上撰」をもらった。今ある「田苑」が切れたら飲んでみよう。
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