新幹線の列車が止まる駅のコンコースのよう――胃カメラと大腸内視鏡検査予約のため、1年ぶりにいわき市立総合磐城共立病院を訪ねた。待ち時間に院内を行き交う人たちを見ていたら、10月に東北新幹線を利用して郡山から盛岡へ日帰りで行ってきたことを思い出した。なんだか盛岡駅や郡山駅のあわただしさに似ているのだった。それが、おととい(12月16日)。
きのうは午後、某所で知人と二人、コーヒーをごちそうになった。雑談しているうちに、知人が「市長は政治家として『新幹線を誘致する』くらいのことは言うべきだろう」という。春に北陸新幹線の長野~金沢間が開業した。それが頭にあったようだ。「新幹線が通ってれば、いわきは東京の通勤圏内だ」。<常磐新幹線>も悪くないか――そう思ったのは、盛岡への日帰り行が大きい。
来年(2016年)3月26日には、北海道新幹線(新青森―新函館北斗間)が開業する。新幹線は今や、「もう一つの在来線」になりつつある。サラリーマンは、泊まりがけの出張が日帰りになるので面白くないだろうが、単なる旅なら盛岡の先でも日帰りできそうな気がしてきた。泊まるにしても、より遠くまで行くことができる。
本州さいはての新幹線の新駅「奥津軽いまべつ」。先日のテレビ(またまたNHKの「東北Z」で恐縮だが)で、今別町役場が「新幹線対策室」を設けて、通過駅にならないよう観光客誘致に力を入れている様子が紹介された=写真。
今別には、行ったことはないが特別な思いがある。名刹・本覚寺は、元は磐城平の浄土宗名越派本山専称寺の旧末寺だ。今別生まれの貞伝上人(1690~1731年)は、15~28歳まで専称寺で修行したあと、本覚寺五世に就いた。海峡を越えて北海道・千島へも布教に出かけた(佐藤孝徳『専称寺史』1995年刊)。太宰治も「津軽」のなかで貞伝上人について触れている。
貞伝上人に引かれるのは、それだけではない。「栽培漁業」の元祖のような人でもあった。だし昆布として「今別昆布」は有名だそうだが、それにはこんな伝説が……。漁獲の不安定に苦しむ漁師たちの生活を案じ、貞伝上人が読経とともに海に紙片をまいたところ、それが昆布になった(今別町ホームページ)。紙片には「南無阿弥陀仏」の六字(つまり「名号」)が書かれていたのではないだろうか。
盛岡まで簡単に行けたのだから、その先の今別へも気軽に行けそうだ。すると、その逆も。専称寺には東北地方に200超の末寺があった。たとえば、本覚寺の檀家さんが観光を兼ねて旧本山であるいわき市の専称寺を訪ねることも、新幹線を利用すれば簡単にできる。
新幹線は新たな発想をももたらす。貞伝上人を仲立ちにした相互交流があってもいい――なんて考えていたら、NHKがゆうべのローカルニュースで、今別町で北海道新幹線開業まで100日のイベントが行われたことを伝えた。
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