2015年12月26日土曜日

小川の里のハクチョウ

 ハクチョウと小川町――。詩人の草野心平が生まれ育ったころには、たぶん想像もつかなかった組み合わせだろう。江戸時代はどうだったのか。その前は、さらにその前は。
 今は毎年、いわき市小川町三島の夏井川でハクチョウが越冬する。夏井川ではほかに、下流の平・中平窪、塩~中神谷にハクチョウが飛来する。2008年5月、北海道などでオオハクチョウの死骸から鳥インフルエンザが検出された。以来、給餌(きゅうじ)自粛が叫ばれ、いわきでも年々、その数を減らしている(日本野鳥の会いわき支部『いわき鳥類目録2015』)。

 朝9時ごろ、小川町の平野部を通ると、山並みをバックにハクチョウが飛んでいる。12月6日の日曜日がそうだった。半月ほどたった22日の火曜日(冬至)も飛んでいた=写真。100年前にもハクチョウが越冬していれば、心平は詩に書いていただろう。

 それはそれとして――。国道399号は小川・三島地内で夏井川と並走する。橋のすぐ上流に磐城小川江筋の取水堰(斜め堰)がある。それで流れが緩やかになり、浅瀬も広いためにハクチョウの格好の休み場になった。平地の夏井川で第3の越冬地として定着したのは、しかし近年だ。
 
 2年前の初冬のある朝、三島で――国道沿いの家から男性が現れ、ガードレールのそばに立って「おはよう、おはよう」とハクチョウたちに大声で呼びかけながら、道路から5メートルほど下の水面にクズ米をまいていた。朝晩2回、彼らにえさをやっているのだという。今冬もえさの保管場所に米の袋がいくつか置いてあった。

 きょうも同じ時間に、同じように「ハクチョウおじさん」がえさをまいているのではないか。だとしたら、ハクチョウたちは朝、ひとまずそこで腹を満たしたあと、何羽か連れだって上流方向に飛び立ち、小川の里を大きく左に旋回しながら、下流右岸域の枯れ田に舞い降りて採餌する――という行動を繰り返しているのだろう。

 冬至の日の12月22日は朝、阿武隈の山を越えて田村市へ行き、午後は双葉郡大熊町経由で帰って来た。山麓線(県道いわき浪江線)沿いの楢葉町上繁岡地内に大堤がある。ここもハクチョウの越冬地として知られる。

 東日本大震災の前は大堤へハクチョウを見に行ったり、阿武隈高地からの帰りに寄ったりした。いつの間にか「白鳥の館」ができた。今年(2015年)は地震で壊れたところを復旧する工事が行われているのか、ハクチョウの姿は見かけなかった。工事が終われば、ハクチョウも“帰還”することだろう。

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