2017年6月16日金曜日

池の睡蓮

 いわき市暮らしの伝承郷にある池は、ちょっとしたビオトープ(生物の生息空間)だ。いつもは入園しても通り過ぎるだけで、池をのぞくようなことはしないのだが……。
 伝承郷で7月2日まで、福島県立博物館移動展「東北の仕事着コレクション」が開かれている。カミサンが見たいというので、運転手を務めた。

 ついでに、65歳以上は無料の特典を生かして園内を散策した。池の睡蓮が咲き始めていた=写真。コウホネ、アサザの黄色い花も咲いている。3センチほどのクロイトトンボ?が、子ガエルが水面の葉に止まる。メダカも葉の下を出たり入ったりしている。目を凝らせば、そこもワンダーランドだった。

 泥沼のほんの少しの上澄みの外で咲く花、中で泳ぐ小魚、外と中を行き来するカエル――池の生き物はまるで濁世(じょくせ)を照らす光の化身ではないか。
 
 そんな比喩が浮かぶのは、雨季にベトナムやカンボジアを旅したことが大きい。至る所に池があって、蓮が群生していた。仏教はアジアの蓮の文化圏から生まれた、とは乱暴ないい方かもしれないが、仏像が蓮の花の上に立ったり座ったりしている理由がわかったような気がした。

 バングラデシュの国花は睡蓮。いわきで震災の支援活動を続けた国際NGO「シャプラニール」は、ベンガル語で「睡蓮の家」を意味する。

 政治もまた、泥沼に蓮の花を咲かせるようなものだ、といったことを、作家の池波正太郎が随筆に書いていた。原文を思い出せないのだが、さまざまな困難を乗り越えて公共の福祉にかなう政策を実現する、そんなニュアンスだった。今は花が咲くどころか、蓮根が窒息しそうな状況ではあるが。

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