2017年8月4日金曜日

「しんかわ流域誌」

 平成7(1995)年、つまり22年前のいわき民報連載「しんかわ流域誌」の切り抜き=写真=をパラパラやっていて、ハッとした。
 現状は草に覆われて、どこに水の流れがあるかわからないような小さな川が低湿地を形成し、やがてそこがいわきの中心市街地になる。大きくは夏井川流域に入るが、戦国時代からの主だった城と城下町は新川流域にあった。

 戦国大名岩城氏は好間・大館(新川左岸)に城を構える前、平・白土(新川右岸)に本拠があった。近世になると、今のいわき駅裏、物見ケ岡(新川左岸)に徳川譜代の磐城平城ができる。磐城平城には三階櫓(やぐら)がそびえていた。

 8月1日、いわき市が磐城平城本丸跡地の公園整備構想を発表した。国の「中心市街地活性化広場公園整備事業」に採択されたという。ただし、シンボルになる三階櫓などは企業・市民の寄付金頼り、らしい。

 同じ日、県の環境関係の機関から電話が入った。新川について話を聞きたいという。電話を切ったあと、なんで今?と思ったが、原発事故で環境問題の質が変わったのだと気づく。

 ざっと30年前、ゴルフ場やごみ処分場が川の上流に建設されるのはいかがなものか、というので、市民運動が起きた。それに先行するかたちで、市民にいわき市内の川を軸にした自然・歴史・民俗などを知ってもらう連載を、勤務するいわき民報で手がけた。

 いわき地域学會のメンバーが書き手になった。週1回、1年を通して夏井川を、鮫川を、藤原川を読み解き、のちに地域学會がそれぞれの『流域紀行』を本にした。
 
 好間川と大久川については、半年ずつのセットで「流域散歩」を連載した。そのあと、新川についても1年間、「しんかわ流域誌」というタイトルで連載した。これらは未刊のまま、新聞切り抜きとして手元に残っている。

 昭和40年代以降、公害から環境へと行政課題が変わり、それなりに対策が講じられた。そこへ、原発震災が起きた。放射性物質が環境にまき散らされた。県の環境関係の機関は災後に設けられた。新たに発生した公害問題を踏まえ、「水環境」に絞ってなにかイベントを計画しているらしい。新川の話を――は、そのための下調べの一環、ということなのだろう。
 
 震災時、本棚が倒れたり本が落下したりした。きちんと整理をしなかったので、どこになにがあるか、今も定かでないものがある。この新聞切り抜きだけはなぜかすぐ見つかった。きのうは一日、「しんかわ流域誌」を読んで過ごした。

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