2018年1月1日月曜日

新芸術祭「百五〇年の孤独」④未来の仏

「戊辰戦争150年」の最初の朝がきた。いわき市田人町の朝日山へ登った人たちよ、初日の出は、富士山は拝めたか。 
 年をまたいで最初のブログは、12月28日に見たカオス*ラウンジ新芸術祭2017市街劇「百五〇年の孤独」の感想文4回目。廃仏毀釈によって「死者」と「生者」の関係はどうなったか。

「少なくとも仏教が伝来してから千数百年の間、この国の『死者』と『死後』をケアしてきたのは仏教だった。これは信仰とか、思想とか、好みの問題ではなく、端的に事実としてそうなのだ。つまり、仏教が滅びるということは、私たち『生者』が持ち帰る、死者と死後への想像力に、大きな欠落が生まれることを意味する」

 三つの会場で渡された手紙のうち、第一の手紙に出てくる上記の文章を読んでいて思い出したことがある。

 原発震災後、東京から定期的にいわきへ来て調査を続けていた災害社会学の若い研究者と、わが家で晩酌をしながら雑談した。そのなかで、原発事故で相双地区から追われた人々の話になった。私は、震災の年に出版された哲学者内山節さんの『文明の災禍』(新潮新書)を踏まえながら、次のようなことを言った。

 先祖伝来の家と土地に住んでいた人にとっては、死者もまた家と家族と共に生きていた。家と土地を追われた今は、ふるさとに残してきた死者に対するすまなさ、墓参りも埋葬もできないいらだち、悲しさに満ちているのではないか――。
 
 賠償金をいっぱいもらっているとかいないとかの話は表層的なことであって、死者とつながっていた暮らしが原発事故で断ち切られた、そのことがほんとうは一番つらいのではないか――。
 
 廃仏毀釈と違って、ふるさとに寺も墓もある。ところが、放射性物質が寺へ行くことも墓へ参ることも許さない。死者と生者の関係を破壊した、という点でも、原発事故の罪は深い。
 
 新芸術祭「百五○年の孤独」の第三会場=生蓮寺跡玉露観音堂内には、いつかは仏像になるかもしれない寄木(よせぎ)の「未仏(みぶつ)」が置かれていた=写真。周囲には壊れたディスプレイのチカチカ。文化財保存修復研究員でもあり、仏師でもある作者の説明を聴いて、勝手に腑に落ちるものがあった。
 
 壊れたディスプレイ(作者は別人)は「光背」だ。実際、第三の手紙にもそう書いてある。「未仏」は「まだ仏ではない」のではなく、もう「未来の仏」だ。
 
 第三の手紙には、さらにこうあった。「多くの寺院が失われ、ほとんど復興しなかった泉という土地では、わずかに残されたものを見るたび、その背後にある膨大な失われたもののことを想わずにはいられない。廃仏毀釈の結果、有縁だった死者が無縁になり、仏すら打ち棄てられ、無縁になったのだから」

 泉のある地区では、寺が壊されたことで住職が去り、そこを根城にしていたドバトがいずこかへ消えた、という話を、30年近く前、故佐藤孝徳さん(歴史家)に聞いたことがある。
 
 泉からひと山越えた隣の地区を流れる鮫川では、墓石が護岸に使われた。いわき市生まれの作家河林満さん(1950~2008年)はそれを題材にして、朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」の平成11(1999)年1月号に小説「ある護岸」を発表した。
 
 いずれも廃仏毀釈による“無縁”化が生んだトピックだが、「150年の孤独」を経た今、アートと連動するかたちで街なかにお堂が創建され、丘の中腹の寺跡では除夜の鐘が鳴り響く、という“有縁”化の動きが出てきた。現時点でのその到達点が「未仏」なのだ――と解釈することもできるのではないだろうか。

0 件のコメント: