2011年8月27日土曜日
「青春とバングラデシュ」
2001年5月放送のNHKアーカイブス「青春とバングラデシュ」を見た。国際協力NGOシャプラニールの原点をひもとくような番組だ。これにいわきの人間が登場する。シャプラニールの前身の組織をつくりあげた一人で、私と同じ学校に学び、同じ寮の部屋で寝起きした。年も同じだ。もとの番組は1972年9月に放送された。
私たちは20歳前に前後していわきの学校を飛び出し、東京で合流して高層ビルの建設作業員をしていた。
二人で復帰前の沖縄を放浪したあと、私はいわきへJターンした。彼はそのまま建設作業員を続けた。バングラデシュが大変な犠牲を払って独立すると、キリスト教系の団体が組織した復興農業奉仕団に参加した。そのドキュメンタリー番組だ。私たち二人の関係を聞き知っているシャプラニールの事務局長氏から録画ビデオのCDが届いたのだった。
あらためて番組を見ながら、40年前のそこにはまぎれもない青春があった、バングラデシュの人々のために奉仕しようという熱い思いがあった――そんなことを思うのだった。日本の青年五十数人が2人一組になってバングラデシュ国内に散らばり、水稲栽培のための耕運機の操作方法を指導する=写真、それが目的だ。
破壊された鉄橋、難民キャンプ……。まだ戦禍が生々しい現地の様子にいわきの被災地の姿が重なる。そして、村びとに身ぶり手ぶりで耕運機の動かし方を教える日本の若者たちのひたむきさに胸が熱くなる。
そのストレートな心が見聞きした援助の実態やバングラの自然と人間への思いが帰国後、「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」になった。それが、やがて「シャプラニール=市民による海外協力の会」に発展する。
だから、私は、このNGOはいわきの人間の遺伝子を持っている、と勝手に思っている。3・11以来、シャプラがいわきで支援活動をしているのはその遺伝子のなせる業とも思っているくらいだ。
きょう(8月27日)はシャプラが支援活動を展開している久之浜で「奉奠(ほうてん)祭花火大会」が開かれる。夕方には出かけようと思う。
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1 件のコメント:
いまダッカです。徳島大学歯学部の3人の学生が1週間の交流と農村での歯磨き指導事業のセミナーを終えて、バンコクへ向かいました。5年ほど前まで現地の状況はすごいもので、大学は牢獄と勘違いするような荒廃ぶりでしたが、ここ5年で見違えるようです。ダッカ市内居住のみでも腹痛の学生続出でしたが、今では農村に海外初めての学生が行ける(交通渋滞はさておいて)状態です。一方、都市型の問題(格差と貧困、スラム、路上生活の子供等)がかなり悲惨なことになっています。最初にダッカに入った方たちは今をどう思われるでしょうか。森田康彦
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