7月になると、いわきではネムの花が咲く。平から夏井川溪谷へと向かう道沿い。何本かネムの木がある。今年はまだ花を見ていない。遅い。代わりに、というわけではないが、溪谷の無量庵の庭でネジバナの花が咲きだした=写真。ニワゼキショウも咲いている。
梅雨になると一度、人に頼んで草を刈ってもらう。前はカミサンの知り合いの農家の女性、今はわが家の斜め向かいの造園業の知人にお願いする。そうやって庭の草を刈ってきたからだと思う。ニワゼキショウが増え、最近はネジバナが目立つようになった。
カミサンがネジバナを摘んで、被災者のための交流スペース「ぶらっと」に飾った。富岡町から避難し、「ぶらっと」でボランティアをしているYさんが、ネジバナを見て「なつかしかった」と言う。
いわきにいる双葉・相馬郡の人たちにとっては、ネジバナは「なつかしい花」になってしまったのだ。わけもわからず、着の身着のままで避難した日から、ふるさとに、わが家に帰れない。一時立ち入りが行われるようになっても、庭は、周囲は草ぼうぼうだ。咲いている花に目をやる余裕もない。
私がそうなのだが、ある程度年がいくと、土いじりが楽しみになる。花を、野菜を栽培する。山菜も、キノコも採る。少なくとも地方に暮らす人間には、自然と交流し、自然から恵みをいただく――その恩恵がたまらなくありがたい。いや、だからこそ地方で暮らすのだ。それが、原発事故で断ち切られた。
いわきのネジバナに触れて、家と生活と土地の記憶に結びついていた、ふるさとの山野草を想起する。Yさんの、「なつかしかった」という言葉には万感の思いが込められている。胸の中で私は泣くしかなかった。
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