必要があって、專称寺の全景をふもとから撮った。專称寺はわが散歩コース・夏井川の対岸、突き出た丘の中腹にある。昨年の大震災で本堂が「危険」、庫裡が「要注意」の判定を受けた。ふもとの総門も被害に遭った。いずれも国の重要文化財に指定されている。
本堂と総門の保存改修工事が始まった。そのための事務所と資材置き場が総門のわきにできていた=写真。
本堂を保存・改修するには、いったん重機をあげて解体しなくてはならない。山道拡幅工事が行われた。山道は乗用車一台がやっと通れるくらいの幅しかない。寺側がフエイスブックで公開している文と写真によると、路肩からやや離れた斜面に鉄骨を打ちこみ、擁壁をつくって盛り土をしたようだ。
総門の調査も並行して行われた。こちらもいったん解体される。総門の扁額の裏に屋根に関する文章が書き留められていたという。早速、新しい“史料”が出現した。
專称寺は不思議な寺だ。江戸時代には浄土宗名越(なごえ)派檀林、つまり「大学」として隆盛を極めた。奥羽の各地から若者が修行にやって来た。幕末、江戸で俳諧宗匠として名を成した出羽出身の一具庵一具(1781~1853年)もその一人。この俳人を調べている(といっても、現在は引き出しにしまったままのようなものだが)。
「重要文化財 專称寺(本堂・総門)保存改修工事」は、宗教法人專称寺が発注し、公益財団法人文化財建造物保存技術協会が設計・監理を担当する。事務所と資材置き場を囲む塀に掲げられた標識に、そうある。
先日、近隣3行政区の現・元区長・副区長の懇親会があり、專称寺の檀家だという人にいろいろ聞いてみた。工事の期限も、費用(あらかた公費だが、檀家の負担もある)もかなりのものらしい。が、不思議と負担を苦にするような雰囲気ではなかった。名刹の檀家としての誇りと愛着がそうさせるのだろうか。
不思議な寺という思いの一つは、檀家が夏井川のこちら側、中神谷にいることにも由来する。かつては船で川(参道)を渡った。寺が「梅の寺」として脚光を浴びると、行楽客も渡し船を利用した。
專称寺で学んだ僧たちが各地でさまざまな事績を残している。対岸から寺を仰ぎ見ながら思うのは、そこはかつて「大学」だった、ということだ。その寺史が今度の保存改修工事でさらに読み解かれ、深まることを期待したい。佐藤孝徳著『專称寺史』を繰り返し読んでいる者として、そう願う。
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