夏井川の無量庵へ行く。すべきことを終えると、庭の内外をウオッチングする。庭のヘリの木にアラゲキクラゲが発生していた。写真に撮って拡大したら、なんとクモが隠れていた=写真。オニグモではないか。
無量庵ですべきことは二つ。「三春ネギ」を栽培しているので、時期を見計らって溝をつくる、苗を植える、庭の刈り草を敷く、土をかける、追肥をする、草を引っこ抜く――その作業の合間に生ごみを埋める。
農家からみたら、ままごとのような作業とスペースでしかない。が、生ごみ埋めはささやかな資源循環だと思っている。この17年、燃えるごみの収集日に生ごみを出したことはない。
ウオッチングの楽しみは森を巡ることだ。かつては「モリオ・メグル氏」という架空の人物に託して勤務先の新聞に森の話をつづった。そして、ブログを始めてからは「私」の一人称でそれを継続している。が、3・11後はなぜか対岸の森を巡ろうという気持ちがわいてこない。キノコを見る・撮る(採る)楽しみが減衰したからだろう。
それはさておき、クモだ。アラゲキクラゲは人間の耳たぶくらい。クモにとってはいい隠れ家ではないか。雨上がりだった。夜行性のオニグモだとしたら、雨を避けられただけでなく、日中はずっと安心してそこにいられる。
夏井川渓谷へ通うのはこうしていつも発見があるから、といっていい。想像力が刺激される。
人間は、マチ場での人間と人間のつながりだけでなく、人間と自然のつながり(ネギづくり、キノコ・山菜採取など)、そして自然と自然のつながり(クモとアラゲキクラゲの関係など)によって生かされている。そのことを確かめるために溪谷へ行く、ということなのかもしれない。
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