2012年7月27日金曜日

青山椒


サンショウ(山椒)は若芽・若葉、未熟なあおい実=写真、熟したあかい果皮、幹を利用できる、日本の食文化に欠かせない山の木だ。木の芽はあえもの・吸い口・彩り、あるいは山椒味噌にする。あおい実は佃煮・塩漬け(青山椒・実山椒)、あかい果皮はすりつぶして粉山椒に。幹は擂り粉木になる。

夏井川渓谷の無量庵。家と道路(県道小野四倉線)との境に、モミと山椒、梅の木などが植わってある。目隠しのようなものだが、随分大きくなった。山椒だけ若い。実生だろう。

芽吹く寸前の木の芽は赤くふんわりしている。渓谷の住人はこの赤ちゃんのこぶしのような木の芽を好む。かむと舌が軽くしびれる(若葉も、むろんあおい実も、果皮も)。食べ方を教えられ、山椒味噌と佃煮、擂り粉木以外は、摘んで料理に添えたり、加工したりした。粉山椒はウナギのかば焼きに、あるいは七色唐辛子を自分の好みにブレンドするのに使う。

無量庵の庭に小さなネギ畑がある。3・11後、表土を5センチほどはいだ。道路沿いにある立ち木の枝葉が電線に触るので、<剪定していいか>と電力会社から仕事を請け負った事業所の担当者が言ってきた。<ばっさりやってくれ>。それ以外に放射線量対策はしていない。で、山椒は木の芽から熟した果皮まで眺めるだけになった。

若い仲間が「放射線情報共有マッププロジェクト」に参加して、道路の空間線量を移動しながら測定している。その結果がグーグルアースを利用してマップ化されている。わが無量庵の前の道路は0・339マイクロシーベルト/時。色はブルー、青信号だ。だから、そばの山椒もOKとはならない。測定していないから。

数値に支配されるのはイヤだが、数値を大事にするしかない――今はそういう状況にある。その数値とモノの関係について、いわき民報の「くらし随筆」5~7月木曜担当の富原聖一さんから、毎回学ぶものがあった。

富原さんはアクアマリンふくしまの獣医師さんだ。きのう(7月26日)の最終回は、タイトルが「真摯な気持ち」。「くらし随筆」を「専門家と一般市民の狭間に立ち、双方を隔てる壁を取り除くつもりで放射線問題に取り組んできました」という。それによって、こちらの蒙(もう)が啓(ひら)かれた。

12回、全部切り抜いた。初めてのことだ。この3カ月にさまざまな反響があったという。「ラドンの記事はインターネットで紹介され、全国に広まってしまい少し困惑しました」。これは私のしわざ。「ホタルの記事は抗議文までくる事態にもなりました」。数値に一喜一憂する状況だからこそ、科学的知見・事実を大事にしないといけない。

山椒は小粒でもピリリと辛い――そんな富原さんの文章=真摯な気持ちは、こちらにしっかり届いた。どこかで書き続けてほしい。

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