大津波に襲われたいわき市平豊間地区。信号機が復活した県道小名浜四倉線の交差点そばにゴジラが鎮座する=写真。「お譲りします」と書かれた紙が張ってある。
ゴジラの出自は、アメリカのビキニ環礁での核実験。そのとき、第五福竜丸の乗組員が被曝した。
ゴジラの映画を見たのは小学校の何年生だったろう。昭和29(1954)年に制作されたが、阿武隈の山の町で見たのは2~3年後だったような気がする。小学校入学前はもちろん、1年生になっても見た記憶はない。2年生か、あるいは3年生のときだったか。
いや、そんなことはどうでもいい。きのう(7月25日)、夜7時からのTUF「キラリふくしま~あの時、災害弱者は」を見て、自分の想像力の弱さを知った。目や耳や口の不自由な人がいる。彼らは3・11をどんな思いで過ごしたか。そこに思いが至らなかった。
「非日常」だからニュースになる――その通りだが、「日常」にひそむ問題を掘り起こすこともマスメディアの仕事だ。それができていないから「大本営発表」などと批判される。TUFの「特番」は、マスメディアのもう一つの仕事である、「日常」=障がい者の3・11とその後=に目を向けたものだった。
3・11の直前、林香里著『<オンナ・コドモ>のジャーナリズム――ケアの倫理とともに』(岩波書店)が発刊された。地域紙に身を置いてきた人間として腑に落ちることがいっぱいあった。
天下国家や正義を論じるメディア・記者がいてもいい。でも、大事なのは社会的弱者を取り残さずに手を差し伸べること、共感・ケアのジャーナリズムの実践だ。3・11後は特に、ジャーナリズムのあるべき姿を示す本に「なってしまった」と思う。
いわき市の震災被害状況を知らせる災害対策本部週報の「人的被害」が7月1日付でガラリと変わった。それまで死者数は310人、行方不明者37人(県警発表)だったのが、県の定めた統一基準に合わせて死亡424人、不明ゼロになった。
424人の内訳は①直接死293人②関連死94人③死亡認定を受けた行方不明者37人だ。関連死の定義は「震災後の負傷の悪化、避難生活による持病の悪化などが原因の死亡で、弔慰金の支給に関する法律に基づき、震災が原因で死亡したと認められるもの」だという。
NGOのシャプラニールが運営する交流スペース「ぶらっと」の利用者第一号で、先日亡くなった薄磯の被災男性も、私は「持病悪化」の関連死だと思っている。
関連死が増えぬよう、「取り残さない」ための心のケアが大切になってきた。マスメディアもそれを視野に入れた「ケアのジャーナリズム」に意を注いでほしい。
0 件のコメント:
コメントを投稿