2012年7月25日水曜日

水玉模様


散歩しながら、デジカメで花や鳥を撮る。夏井川溪谷の無量庵でも菜園の草を引き、生ごみを埋めたあと、周囲をめぐってパチリとやる。無量庵の庭。地べたに、棚状にクモの巣が張ってあった。雨上がり。細かな水滴がびっしり付いている。パチリとやって拡大すると、面白い水玉模様になった=写真。写真のワナだな、これは。

3・11後もいわきでは普通に郊外をめぐり、花や鳥やキノコをパチリとやることができる。双葉郡との比較でそれを意識したのは、つい最近だ。

被災者の交流スペース「ぶらっと」。津波被害に遭った人や、原発事故から避難してきた人たちが利用する。ボランティアを兼ねる人もいる。

津波で家を失い、原発事故のために家があっても帰れない人たちもまた、日ごろから野草や鳥やキノコに接していたはずだ。家庭菜園を営む人も多かったに違いない。その楽しみが奪われた。普通が普通でなくなった。

カミサンが無量庵の庭に咲くネジバナを摘んで、「ぶらっと」に飾った。「なつかしかった」と双葉郡から避難している人が語った。ヤマユリは阿武隈高地に夏を告げる花。きのう(7月24日)、小欄に書きながら、双葉郡の人たちもふるさとのヤマユリの花を見たいだろうな――ふと、思った。

おとといときのう、ボランティアが参加して被災者に届ける情報紙「ぶらっと通信」第9号(8月1日付)の発送作業をした。<利用者の声>を読みながら、双葉郡の人たちも、いわきの人間も、同じ運命共同体の一員、という思いを深くした。

<利用者の声>は68歳の浪江町の女性。相馬市のスーパーで買い物中に大地震に遭遇した。車で帰宅途中に津波を目撃して、急いで山側へと車の向きを変えた。なんとか自宅にたどりついたものの、家の中はめちゃくちゃ。実家へ避難して車の中で一夜を過ごしたら、避難勧告の無線が入った。

二本松からいわき、柏、そして勿来の娘さんのところで1年を過ごしたあと、今年4月から平の借り上げ住宅に住んでいる。ヨーカドーへ買い物に来て、偶然、「ぶらっと」を知った。今は週に2回ほど通っている。「これからも色々なニーズに応えられるように多様なことをやってもらえれば、私のように生き返れる人がもっと出てくると思います」

「生き返れる」という言葉に胸を打たれた。被災し、避難した人の言葉の深さ。あなたも、私も、同じ時間と空間を生きている“仲間”ですよ、一人じゃないですよ――そう伝えたくなった。

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