2012年7月1日日曜日

保健福祉センター


先日(6月24日)、いわき市総合保健福祉センター=写真=でおしゃべりをした。テーマは「大正ロマン・昭和モダン――いわきの文学の世界」。主催は市の男女共同参画センターだ。今年度のいわき市男女共同参画週間事業のオープニングセミナーだという。

私が1時間しゃべったあと、「市民活動報告」が行われた。こちらが本題だ。報告者は4人。国際女性振興会石田冴子さん、ピープル理事長吉田恵美子さん、東日本国際大学生矢吹道子さん、いわきふれあいサポート会長黒須敦子さんで、私は用事があったので「報告会」は失礼した。

「男女共同」ということを意識しながら、ざっと100~80年前、大正~昭和戦前のいわきの文化状況について話した。象徴は詩人の山村暮鳥、そして作家の吉野せい。

大正6(1917)年。18歳のせいは初めて小説を書く。作品を読んだ暮鳥は、中央の雑誌「第三帝国」に掲載する労を取る。4回に分載された。反響があったことが、中央からのアプローチによって推察される。

で、その後。詩人の開拓農民・吉野義也(三野混沌)の妻となり、筆をしまって梨栽培にいそしんだ。夫が死んだあとに再び筆を執り、『洟をたらした神』で田村俊子賞・大宅壮一ノンフィクション賞を受賞する。18歳の清流が伏流して、70歳を過ぎて再び地表にあふれだした――「百姓ばっぱ」を自称したせいに対する私のイメージだ。

吉野せいと、それ以外の女性を――というのが、男女共同参画センターの注文だった。暮鳥の呼びかけに応じた女性は、大正6年時点でせいが一番年少の18歳、比佐邦子20歳、斉藤千枝23歳、関口磧27歳、中野仲子28歳。(吉野せい著『暮鳥と混沌』)

文学は狭義の文化。それを生み出す広義の文化が暮らし方だ。女性たちのふだんの生活をルポした新聞記者比佐邦子の「御家庭を訪れて」(大正14年発行)を解説しながら、暮鳥が種をまいて芽生え、花開いたいわきの大正ロマン・昭和モダンと、その時代に生きた群像を紹介した。

ところで、総合保健福祉センターは若い母親と乳幼児がふだんから出入りしているところ。放射線健康管理センターもある。建物の前のリアルタイム線量計の数字は毎時0.08マイクロシーベルト台。平時に近いデータに、母親たちは安心して出入りしているだろうことを思った。

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