全国紙の文化部記者と話すのは初めてだった。いわき明星大の震災アーカイブ室に籍を置く客員研究員の若い女性Kさんがわが家へやって来た。震災直後の3月15日から23日まで、当時4歳と2歳の孫を案じて、家族で原発避難をした。避難先での食事や避難者の様子などをカミサンがメモ帳に記録していた。それを借りに来た。その同行取材だった。
全国紙の文化部が、4年たった東日本大震災をどう取り上げるのか、興味があった。3月9日から3回にわたって、文化欄で「被災経験の共有と継承に向けて、“声”をつなごうとする文化各界の試み」を紹介した。
「復興が進む中で、かき消されそうな小さな声に心を寄せ、書きとめる人々がいる。多様な個の経験を記録・表現し、将来に史料を渡そうとする地道な努力も続いている」。いかにも文化欄らしい、いい前文ではないか。
<上>では小説「想像ラジオ」のいとうせいこうさん、南相馬市のFMラジオに番組を持っている作家柳美里さん、宮城県在住の俳人高野ムツオさんを。<中>は原発事故に焦点を当て、映画「フタバから遠く離れて」の監督舩橋淳さん、漫画「いちえふ」の竜田一人さんをとりあげた。
11日の<下>=写真=では、市民の撮った写真、メモ、証言などの収集・保存・公開活動を続けている東松島市立図書館の副館長氏、いわき明星大のKさんを取り上げた。(上・中・下=文学・映像・学術という切り口だったようだ)
<下>のなかに、Kさんがカミサンから「ようやく信頼してもらえた」という一文があった。私ら夫婦がKさんに出会ったのは震災の年の暮れ、東京で、だ。いわきで初めて国内支援に入った国際NGO「シャプラニール」のスタッフが、いわきの人間に話を聞くイベントを企画した。
津波被害に遭った平・豊間の友人と3人で出かけた。大学院生のKさんがそのイベントに参加していた。それからシャプラがらみのツアーでいわきへ来たり、指導教授らといわきへ調査に入ったりした。そのたびに会っている。その彼女がいわき明星大の客員研究員になったのだから、協力しないわけがない。「ようやく」ではなく、「最初から信頼している」のだ。
取材の終わりに、「震災の年からのつきあいなんだよ」ということを記者氏には伝えた。それを忘れて、別の例と混同してしまったのだろうか。Kさんもあとでカミサンに電話をよこした。「『ようやく』ではないのに、すみません」。取材された側が首をかしげる表現が1カ所あったので、80点ぐらいつけたかったが、10点マイナスして70点だな、これは――と思った。
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