2015年3月20日金曜日

ガンカメラ

 放送から10日余り。今も衝撃が胸に残っている。ベトナム戦争を描いたハリウッド映画の機銃掃射シーン、あれは映画人の想像力が生んだものとばかり思っていたが、そうではなかった。現に湾岸戦争では、ピンポイント爆撃の映像がテレビに流れた。その“原点”だったのか。
 米国立公文書館に、米軍戦闘機に取り付けられた「ガンカメラ」がとらえたカラー・モノクロ映像が保管されている。それを基にしたTBSの特別番組「戦後70年~千の証言~私の街も戦場だった」は見ごたえがあった。70年前の3月9日深夜(10日未明)、東京が大空襲に見舞われる。その日に合わせて放送された。

 空襲には、いや戦争には正義も大義もない、という思いを抱かせるに十分な映像だった。建物が、汽車が、人間が急降下した戦闘機に狙われる。地上ではなすすべもない。と同時に、米国の映像技術がここまで進んでいたのか、という驚き――。しばらく言葉もなかった。

 ガンカメラは「戦果」を判定するために、機銃掃射が始まると同時に作動する仕組みになっていた。「費用対効果」をはかる一種のプラグマティズムが編み出したものだろう。

 番組では、日本各地の空爆映像が紹介された。いわき近辺では、1Fが建設される前の「陸軍磐城飛行場」(長者原飛行場=大熊町)が機銃掃射される。浪江町の鉄橋を行く汽車が狙われる=写真。富岡駅も空襲される。

 特番を見たあと、ネットで「ガンカメラ」を検索した。個人で同じ映像を入手し、公開している人がいた。ネットの海は広い。九州の市民団体も同じものを手に入れ、先日(3月14日)、報道陣に公開した。通信社経由で県紙に載った。

 番組では、1F(いちえふ)のそばにある「磐城飛行場跡」の記念碑も紹介された。バックに汚染水のタンク群が見えた。今はまだ3月だが、今年1年が終わったとき、「戦後70年」関連では水準の高いテレビドキュメントのひとつ、と評価されるのではないかと思った。

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