2015年3月8日日曜日

「3・11といわきの俳人」展

 きのう(3月7日)午後、いわき市立草野心平記念文学館で事業懇談会が開かれた。その前と後に、館内のアートパフォーミングスペースで「3・11といわきの俳人」展を見た。
 大震災をきっかけに始まった全国文学館協議会の共同展示「3・11文学館からのメッセージ」の一環で、3回目の今年、心平記念文学館は昨年(2014年)の「詩・短歌」に続いて「俳句」に焦点を当てた。

 いわき市には「浜通り俳句協会」(結城良一会長)という、レベルの高い、結社をこえた俳句団体がある。季刊の句誌「浜通り」を発行している。震災直後の2011年140号(5月)から震災俳句が載り、次の141号(8月)で特集が始まった。今も特集が続く。
 
 文学館の展示スペースには1人2句、24人の48句が円形の壁面に特製短冊で掲げられた=写真。「走馬灯」は外からくるくる回るのを見るものだが、それを内側から見るような感覚に襲われた。人間が逆に円を描くように巡る。と、短冊の描く「風景」が次々に現れる。
 
 その句誌に毎回寄稿しているので、震災俳句の流れをつぶさに見てきた。発災直後は、未曽有の大災害を俳句は受け止めきれていない、五七五では物足りない、という思いを抱いた。プラス七七があるだけ、短歌の方が共感できる、と感じたものだった。
 
 今はどうか。丸4年が過ぎて、受け止め方が変わってきた。いかにも俳句が描く「風景」として受け入れられるようになっていた。当時は、こちらの内面がふだんの何倍もの「癒し」を俳句に求めていたのだろう。求めすぎていたのだろう。
 
 沿岸部の大津波と原発事故の惨状を、今は被災者・避難者として知っている。それが、やっと震災俳句に対する共感となって現れたような感じだ。自分の好みの句を記す。
 
  津波跡見てより帰省子もの言はず  青木燁子
  南無彼岸父祖の墓石ぶつ倒れ    武川一夫(故人)
  夜の森のだあれもゐないさくらかな 田崎武夫
  ほれぼれと眺めて棄てる茸かな   長岡由
  活断層地帯びつしり山ざくら    結城良一
  原発の冬は棄郷者増すばかり    渡辺ふみ夫
  原子炉へ夜業の人のバスが出る   笠間杏
  
 48句の中に「フクシマ忌」はない。震災と原発事故に遭遇した福島県浜通りに位置する文学館としての、静かだが強いメッセージである。

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