原発避難中の老夫婦が近所に住む。ときどきコンビニあたりで売っている「バタピー」などの乾き物が届く。ありがたくちょうだいして、酒のつまみにしていた。土曜日(2月28日)の宵、晩酌中にドサッとつまみが届いた=写真。ジイさんのパチンコのみやげだという。「エエ―!」。景品だったのか。
ジイさんは毎日、「学校」(パチンコ店)へ行く。「授業(料)」の結果をノートに記しているらしい。負けるときも当然ある。が、ノートを見た人間の話では、勝った日が多いようだ。研究熱心なのだろう。
「避難者はパチンコばかりして」という話をよく聞く。みんながみんな、パチンコをしているわけではない。ただ、ジイさんを見ていると、「パチンコに行くしかないのだろうなぁ」とは思う。
双葉郡から会津へ避難したあと、いわきへ移ってきた。アパートで会津の夏の暑さを体験した。背中が焼ける思いだった。冬にはどっさり雪が降る。そうなる前に、ふるさとに近いいわきに借り上げ住宅を見つけた。
空き家になっている大家の庭にまで花壇をつくるほど土いじりに熱中した。それが、大家を刺激した。元に戻すように――といわれてやることがなくなった。
双葉郡の人たちは3・11後、家とふるさとを追われ、「当たり前」の日常とは異なる「非日常」を日常として暮らすしかなくなった。
それから間もなく丸4年、つまり5年目に入る。時間が癒してくれるものもあれば、切り刻むものもある。希望をえがくマスメディアには見えない、ニュースにはならない個々人の内面の葛藤、これがより複雑なものになってきたのではないか。
いわきにマイホームを建設した人、県外へ新天地を求めた人、いったん県外に去りながらふるさとへ戻った人、一時は別居を考えた人……。たまたま知り合った人たちの、それぞれの事情に触れて、喜んだり思い沈んだりする。バタピーだって、甘いときもあれば苦いときもある。
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