カミサンが雑誌「ユリイカ」を買ってきた。米原万里(1950~2006年)を特集している。2014年4月発行で「第6刷」とあるから、結構売れたらしい。
佐藤優さんの「米原万里さんの上からの介入」に、<米原さんは「父と母が唯物論者だったんで、私も唯物論者として死にたい」と何度も述べていた>ことが紹介されている。父親は共産党の元衆議院議員米原昶(いたる=1909~1982年)だ。
草野心平記念文学館で昨年(2014年)10月4日から12月23日まで、「米原万里展 ロシア語通訳から作家へ」が開かれた。10月12日に妹の井上ユリさん(故井上ひさし夫人)のギャラリートークが行われた=写真。ユリさんはこのなかで、父の親友「いわきの日野さん」のことに触れた。
後日、文学館の学芸員嬢に会ったとき、「『いわきの日野さん』は常磐の詩人の日野利春か」と聞くと、「内郷の日野さん」だという。さらに後日、いわき地方の左翼運動に詳しい友人に聞いて疑問が解けた。「いわきの日野さん」は内郷駅前で運送業を営んでいた。
最近、「炭鉱と文学」というテーマを与えられたので、内郷がらみの資料をあさっていたら、『磐城通運三十年の歩み』(昭和49年刊)に出合った。戦時中、各駅の運送店が「磐城通運」に一本化される。JR常磐線内郷駅は当時、綴(つづら)駅といった。『三十年の歩み』に「綴駅日野運送店」の章があった。万里の父親の親友と思われる人物・日野定利が出てくる。
定利は旧制磐城中、一高、東大とエリートコースを歩んだ資産家の一人息子だ。ひとかどの思想家として成長したが、一般労働者には受け入れられなかった。が、友情には篤かった――とある。万里の父親は鳥取中から一高へ進み、学生運動に熱中して放校処分を受ける。2人は一高時代に知り合ったか。
万里本人と直接関係はないにしても、「唯物論」のお手本でもある父親の交友関係、ネットワークを知ることでそれぞれの内面を推測することができる、「米原万里」理解も深まる、なんて都合よく解釈している。
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