いわき市は今年(2016年)10月1日、市制施行50周年を迎えた。今のいわき市になる前に、同じエリアで「明治の大合併」と「昭和の大合併」を経験している。
先週の土曜日(12月17日)、いわき市文化センターでいわき地域学會の市民講座が開かれた。小宅幸一幹事が「市制施行50周年、いわきにおける合併の歴史」と題して話した=写真。市職員OBで行政資料や新聞記事を駆使したいわきの近代史研究には定評がある。合併という極めて政治的・行政的過程を、一種の人間ドラマとして読み取ることができた。
ミーハー的な関心で二、三アンテナに触れたことを書く。新自治体名はいつの場合でもなかなか決まらない。
「明治の大合併」では内務大臣の訓令が出た。①旧各町村名は大字に残し、著名な名称はなるべく保存する②各町村合併で参語折衷する(地名をまぜる?)など、斟酌(しんしゃく)に努めて民情に背かない③参語折衷がむずかしい場合は山岳・河川・旧跡など、著名なものによって名前を付ける――。
川部村=中心となる小川村と沼部村から一字ずつ。永戸村=上・下永井村と合戸村、渡戸村から一字ずつ。田人村=中心となる旅人村と黒田村から一字ずつ。赤井村=閼伽井嶽から。いわきの鮫川村=鮫川から、同じく平の下流の夏井村=夏井川から。
いわき市が誕生する10年ほど前の、昭和30(1955)年前後の「昭和の大合併」でも、新自治体名が決まるまでには曲折があった。小名浜町、江名町、泉町、鹿島村、渡辺村が合併して「磐城市」になる。鹿島地区では、いったん小名浜町に編入し、磐城市が誕生する際、一部が常磐市に分離・合併するなど、揺れに揺れた。
小宅さんは新市名が決まる過程で「鹿島村の関係者が古来の地名『磐城』を市名とすることを提案」したのが受け入れられた、と話した。講座が終わって確認する。歴史に詳しい関係者=政治家は限られる。「八代義定か」というと「そうだ」という。八代は詩人山村暮鳥の後援者、詩人三野混沌(吉野義也)と若松せい(作家)の結婚の労をとった考古学研究者。1年先輩の祖父でもある。
『残丘舎遺文 八代義定遺稿集』(2001年、八代義定遺族会発行、非売)の年表・昭和28年の項には「鹿島村が小名浜町と湯本町に分村合併となったため村長の職を辞職、小名浜町助役となる」とある。この裏には合併に伴う地区の利害・妥協・苦悩などが埋まっていた。
「いわき市」も、「磐城」では旧磐城市中心の合併ととらえられる、「石城」では周辺の石城郡に市部が吸収された印象がもたれる、「岩城」はすでに秋田県岩城町として存在する、というわけでひらがな名になったという。
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