いわき市の水石山(735メートル)にテレビ中継局ができて本放送が始まるのは、昭和33(1958)年3月1日。いわき市立図書館がデータ化した当時のいわき民報をチェックしてわかった。平を中心としたいわき地方のテレビ文化はそこから始まる(勿来や小名浜はどうだろう、東京のテレビ放送がじかに見られたはずだ)。
そのころのいわき民報には、たびたびテレビの広告が載る。あるメーカーのテレビは現金価格7万3000円だ。当時の大卒初任給は1万3500円というデータがある。大卒はそんなにいなかった。よくて高卒。私が生まれ育った阿武隈の山里では、大半が中卒で就職した。大卒の新入社員でも給料の5.5倍、今の相場に換算すれば100万円くらいか。
東京では昭和28年にテレビ放送が始まる。大相撲が放送される。力道山のプロレスも。人々は街頭テレビに群がった。地方に波及するまでには多少時間がかかった。阿武隈の山里は当然、いわき地方よりテレビの普及が遅れた。
小学生のときだった。近所のラジオ屋の店頭に据え付けられたテレビで大相撲を見た。冒険活劇「月光仮面」を見た。プロ野球とプロレスはその後、わが家の茶の間に据え付けられたテレビで見た。同じころ、少年マガジンやサンデーが創刊された。団塊の世代は週刊漫画雑誌とテレビに熱狂した最初の子どもたちだった。
先週の12月15日、BS朝日「ザ・ドキュメンタリー」で<昭和のヒーロー力道山の真相~プライベート映像が語る男の素顔>を見た=写真。いわきのメディア史を調べていて、テレビが茶の間に入ってきたころの様子を、同じ日、公民館の市民講座で話したばかりだった。奇縁だなと思いながら見た。
リングでの英雄は刺されても死なない――当時の少年はそう思っていたので、力道山の不慮の死がなかなか理解できなかった。昭和38(1963)年12月15日没。ちょうど命日の放送だった。力道山の命日が頭に入っていれば、市民講座も少しは盛り上がったか。
力道山や月光仮面のほかに、生身のヒーローは長嶋、王、若乃花(初代)、ちょっと遅れて大鵬。高度経済成長期と重なる昭和30年代は、とりわけテレビという新娯楽が加わって輝いていた。
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