2016年12月31日土曜日

スペインからのFB友申請

 先日、スペインからフェイスブックの友達申請がきた。名前(もちろん日本語ではない)に覚えがあった。東日本大震災前、阿部幸洋(いわき市出身でスペイン在住の画家)と一緒にわが家へ来た青年ラザロ=写真=だ。後日、彼のタイムラインをのぞくと、あった。2014年10月4日に、阿部の個展を取り上げた現地のテレビ2局のニュース映像がアップされていた。
 阿部が住んでいるのはスペイン中部、ラ・マンチャ地方のトメジョソ。アントニオ・ロペス・トーレス美術館がある。そこで2年前、日本人画家・阿部の個展が開かれた。油絵の本場・欧州、なかでもピカソたちを輩出したスペインで――。ニュース価値としては十分だ。

 阿部がインタビューにスペイン語でこたえていた。日本に帰ってくると、いわき弁で通す。一日中、キャンバスと向き合っていればいい、というわけではない。日々の営みがある。妻のすみえさんが亡くなったあとは、自分で雑用もこなす。スペイン語は暮らしの命綱だ。ラザロのほかに、いわき出身でグラナダ在住(今は帰省中)の草野弥生さんがちらりと映っていた。

 いわき市立美術館の佐々木吉晴館長がプライベートで個展を見に行った。帰国後、話を聞いた。アントニオ・ロペス・ガルシア(1936~)というスペインの現代美術を代表する画家がいる。トーレスはその叔父さん。やはり画家だ。画家の眼力がガルシアの才能を引き出した。スペイン現代美術の世界で阿部が画家として評価されたからこその個展だったのだ。

 個展にはいわきの知人たちが観光を兼ねて出かけた。学校の後輩が添乗員を務めた。草野さんがガイド役だった。その様子は、草野さんのフェイスブックでわかった。
 
 ラザロが阿部と一緒に日本へ来たのは、すみえさんが急死した5カ月後だ。すみえさんはラザロを小さいころからかわいがっていた。ラザロは阿部夫妻の息子のような存在だ。
 
 この青年は言語感覚が優れている。英語はディズニーのアニメ映画で学習したという。日本語も阿部夫妻と接して多少はなじんでいただろう。が、滞日中、一日ごとに日本語の語彙を増やして、基礎的な会話はこなせるようになった。耳がいいから言葉をまねることができる。記憶力がいいからその言葉が残る。そういう語学の天才がいるのだと舌を巻いた。

 当時27歳、ということは間もなく34歳だ。コンピューターを駆使したアート(漫画もかく)と、「3D」で大きな倉庫のデザインなどを手掛けているということだった。フェイスブックのプロフィールを見たら、変わらずにそれらをやっている。
 
 東日本大震災が起きたとき、阿部が心配し、ラザロがそれを代弁するように、Eメールをくれた。2011年3月15日。その日午後、私たちは義妹と娘、息子一家の3家族で“原発避難”をした。ラザロからのメールを知ったのは10日後、帰宅してからだった。

 日本語としてはめちゃくちゃだが、ラザロの心情、阿部の心配が透けてみえた。「津波のひどい! そちらの状況は? あなたは大丈夫ですか? 私は非常に心配している いわき市が避難? 危険核? 幸洋は言った。私は怖いよ! 非常に注意してください。元気を出して! ラザロ」。「原発の状況を見ながら生きていきます。大丈夫、負けない」。そう返信した。

 今年(2016年)、熊本と鳥取が大地震に見舞われた。暮れには糸魚川が大火事になった。高萩市では震度6弱の直下型地震が起きた。「元気を出して!」「大丈夫、負けない」。ラザロのおかげで、1年のしめくくりに5年9カ月前のあのときを思い出した。

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