2016年12月12日月曜日

「釜じい」の日

 カミサンの実家は米屋。師走に入ると、お得意さんや親せき、世話になった人に歳暮のもちを配る。きのう(12月11日)、一日がかりでもちをついた。といっても、もちは電気もちつき器でつくる。それ以外は手作業だ。
 ドラム缶を利用した“まき釜”に蒸籠(せいろ)を重ねてもち米を蒸す。それをもちつき器に入れる。できたもちは重さを量って袋に詰める=写真。私は毎年、火の番、「釜じい」だ。

「釜じい」の仕事は、まき釜の火力を一定に保つこと。燃料は、義弟が1年がかりで廃材を確保する。焚き方にはコツがある。しかし、何年やっても年に1回ではこつが飲み込めない。今回も「入り口で燃やすように」と指導を受けた。
 
 ドラム缶の奥で燃やすと煙突に炎が抜ける。手前で燃やすと焚き口から炎があふれる。中央の釜に炎を集中させるには釜の近くの焚き口で燃やすことが肝心、というわけだ。絶えず同じような状態でお湯を沸騰させないといけない。水蒸気を利用する点では原発もまき釜も同じだと、「釜じい」をやるたびに思う。
 
 火はただ見ているだけでもあきない。火を見ながら、心のなかではあれこれ考えている。これはこうしよう、あれはこうしよう。しかし、どうにも次の手が浮かばない。わが家のこと、地域のごみ問題のこと……。ま、日常は小さな応用問題の連続だ。
 
 昼飯はこれまで出前の「うな重」だった。今年は、手製のカレー。朝、うな重の記憶がよみがえって、いっとき幸せな気分になった。土用丑の日に、うな重を食べなくなって久しい。今年は「うな重」を味わわずに終わる。
 
 夕方は「どこで刺し身を買うか」悩んだ。行きつけの魚屋さんはお父さんの葬儀がすんだばかりで休みのはずだ。2、3軒、もちを配って街へ戻り、駅前でパック入りの刺し身を買った。なんだか「仮の昼食」「仮の刺し身」という言葉が浮かんだ。

0 件のコメント: