2016年12月10日土曜日

鳥インフルエンザ

 朝は8時ごろ、夕方は5時ごろ、わが家の上空をハクチョウが鳴いて通過する。去年(2015年)までの例でいうと、日中は四倉方面の田んぼで過ごし、夕方は平・塩の夏井川へ戻る(この冬もそうだろう、いちいち確かめてはいないが)。
 いわきの夏井川では、平・平窪、平・塩~中神谷、小川・三島でハクチョウが越冬する。日曜日(12月4日)、三島にはハクチョウのほかにオナガガモが多数飛来していた=写真。

 福島市で1週間前にオオハクチョウが死んで見つかった。鳥インフルエンザの簡易検査で陽性反応を示した。県は半径10キロ圏内を野鳥監視重点区域に設定した。北海道大学で確定検査をしたところ、ウイルスは強毒性の高病原性であることが判明した。巡回活動を強化するという。

「鳥インフルエンザ」と聞くと、亡くなった馬目さん(白鳥おじさん)を思い出す。前にも紹介したが、日本野鳥の会いわき支部報「かもめ」第126号(2015年4月1日発行)に掲載された、前事務局長峠順治さんの「左助・左吉と過した2200日~馬目夫妻の白鳥物語」によると――。

 左助と左吉は夏井川に飛来後、高圧線にぶつかり、翼をけがして北帰行がかなわなくなった。平成15(2003)年9月の大水で、夏井川の越冬地(平・中平窪)から約8キロ流され、そこに定着する。この2羽が呼び水になって、下流の平・塩~中神谷にも越冬地ができた。

 右岸に住む馬目さんが奥さんとともに、左助・左吉にえさをやるため、早朝、軽トラで左岸に通い続けた。馬目さんの死とともに終わったハクチョウと馬目さんの交流は9年間(うち6年間、2200日は左助たちのために毎日えさやりをした)に及ぶ。堤防をコースに早朝散歩をしていたので、いつのまにか馬目さんとハクチョウ談議を続けるようになった。

 最初に「鳥インフルエンザ」という言葉を記憶にとどめたのは8年前(平成20年)。市役所の職員が「白鳥にえさをやらないでほしい」と、馬目さんに言いに来たそうだ。「渡って来たハクチョウはともかく、飛べずに残ったハクチョウには命がけでえさをやってんだ、見殺しにしろというのか」。役所の物言いに馬目さんは怒った。

 前から言われていることだが、通常の野鳥観察程度なら人間への感染の可能性は低い。ただ①死んでいる鳥や衰弱している鳥には素手で触らない②鳥の排泄物に触れたら手洗い・うがいをする③フンを踏んだら念のために靴底を洗う――というようなことはした方がいい。

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