ある夜、息子から電話がかかってきた。「(小名浜から拾ってきた)子猫が死んだ。庭に埋めていいか」。いいも悪いもない。スコップで穴を掘って待っていると、2人の孫もついて来た。
それから10日後。急に“学童保育”を頼まれた。息子の家で学校から帰るのを待ったあと、わが家へ連れて来た。ん!? 家に入ると、子猫の鳴き声がする。下の孫が「線香は?」という。
線香はすぐにわかった。庭に眠る子猫に焼香したい、という意味だった。カミサンがすぐ用意をする。生きている子猫は、カミサンが孫に見せたくて、裏に住む実弟の半飼い猫の子を持ち運びゲージに入れて持ってきたのだという。
カミサン・息子・カミサンの弟――つまり私以外は、そこに猫が、犬が捨てられていれば拾ってしまう派。私はなんでも1匹だけ派で、猫が2匹も3匹もいるような家にはしたくないのに、いる状態がしばらく続いた。その猫たちたちが天寿を全うし、やっと人間だけになったと思ったら、また少しずつ猫の気配が濃くなってきた。
5日ほど前の深夜、地震でもないのに家の階段の本が崩れ落ちた=写真。なんでこうなるのか? しばらく階段をながめながら思案していたら、2階から子猫が顔を出した。びっくりした。なんでそこにいるんだ? カミサンを起こして聞くと、「私だって知らない」という。日中、家のどっかの戸が開いていたのだろう。カミサンがいらつく私にぶつぶついいながら、子猫2匹をつかまえて外に出した。
焼香の儀式が終わると、カミサンは孫を連れて裏の家に子猫を戻しに行った。そのあと、茶の間で孫たちと遊んだ。孫のモノマネに爆笑した。若いときのタモリの形態・声帯模写を思い出した。
小3の孫がピコ太郎の「アッポーパイ」と韓国のデモ参加者のまねをする。下の小1がテレビに映った韓国人と同じような表情をし、声を出して“怒り”を表現する。小1でこんなに迫真の演技ができるのか、とびっくりした。韓国の人たちは国政を私物化した大統領に、猫ではなく虎になった。虎の叫びが日本の子どもたちにも届いたのだ。
韓国のできごとだろうと日本のできごとだろうと、メディア(特にテレビ)が繰り返し伝える情報を、子どもたちはあっという間に吸収する。大人社会が子ども社会に反映する。
ノートパソコンを開いてある漢字の意味を調べていたら、下の孫が「これ(ノートパソコン)で、女の人の裸の写真を見るんでしょ」と言った。「違うよ、調べるのに使うんだよ」と返したものの……。いやあ、恐ろしい。大人は子どもに見抜かれている。孫に、猫をかぶらないで、と言われたような気がした。
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