2017年9月1日金曜日

“記者”の訃報

 きょうから9月。予定がびっしり。次から次に咲く庭のフヨウ=写真=を見て気分転換をするしかない――。そんななかでの、8月終わりの訃報だった。
 おととい(8月30日)の晩、シャプラニール=市民による海外協力の会のスタッフから電話が入った。いわき市出身のNHK解説委員早川信夫さんが29日午後、亡くなったという。ほどなく、元スタッフからもフェイスブックを介して連絡がきた。享年63。脳出血による突然の死だった。
 
 早川さんは、東日本大震災が発生するとすぐ、「3・11被災者支援研究会」を立ち上げた。福島県では地震・津波のほかに原発事故が起きた。原発のある双葉郡から住民が遠隔地に避難を余儀なくされた。なかでも、南隣のいわき市には避難者が集中した。ふるさと・いわきへ、避難先へ足を運び、避難者の取材を重ねた。
 
 3・11後、シャプラニールは初めて国内支援に入り、いわきで交流スペース「ぶらっと」を開設・運営する。さらに他団体と連携して、まちの交流サロン「まざり~な」事業を展開した。
 
 昔からシャプラニールとかかわっていたので、「ぶらっと」の手伝いをし、「まざり~な」も引き受けた(わが家は米屋、カミサンが店を仕切っている)。早川さんは応急仮設住宅のほかに、「ぶらっと」やわが家などを取材した。
 
 カミサンは高校時代、早川さんのお父上(数学教師)に習った。数学はさっぱりわからなかった――そんな思い出を語った。早川さんは苦笑するしかなかった。
 
 早川さんの担当は教育と文化。10年前には「ダイヤルこだま」という、いわきの子どもの相談を受ける元教師のボランティア団体で講演している。タイトルは「こどもたちの心を受け止めるために」。その講演録を読んだ。前置きの部分でこんなことを言っていた。

「週刊こどもニュース」は、池上彰さんが「育ての親」だとすると、早川さんが「生みの親」だったという。企画・創設者が早川さんだった。

 それと、もうひとつ。解説委員には「書斎派」と「現場派」がいる。早川さんは現場派。「私はできるだけ現場に足を運んでいろんな人たちの話を聞き、そうした中で、いろんな人たちの声を聞く中で、バランスよく人に情報を伝えたい」ということを心がけていた。
 
 解説委員になっても、一記者の気持ちで走り回っていた。それが、しかし早い死につながったか。人の話にじっくり耳を傾ける温顔が思い浮かぶ。きょう(9月1日)が通夜、あしたが告別式だという。ふるさと・いわきから、合掌。

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