2017年9月10日日曜日

吉野せいを朗読と邦楽器で

 いわきの「百姓バッパ」、吉野せい(1899~1977年)が書いた短編集『洟(はな)をたらした神』が昭和50(1975)年、大宅壮一ノンフィクション賞・田村俊子賞を受賞する。
 宝生あやこの劇団手織座がこの作品を劇にして平で初演したのが翌51年7月。さらに翌年11月、せいが亡くなった直後に、せいの生まれ故郷・小名浜で追善公演が行われる。このとき、主催者から益金が市に寄付され、市はこれを基に、文学の新しい才能を顕彰する「吉野せい賞」を創設した。今年(2017年)で40回を迎える。

 吉野せい賞40周年を記念して、きのう(9月9日)、いわき芸術文化交流館アリオス音楽小ホールで、朗読と邦楽器による「吉野せいの世界」が開かれた=写真(リーフレット)。第1部は磐城桜が丘高校放送局員による作品朗読、第2部ではいわき三曲連盟と邦楽ユニット「びかむ・トリオ」の演奏が行われた。

 子どもがヨーヨーを自作する「洟をたらした神」と、9カ月で亡くなった次女を鎮魂する「梨花」が朗読された。それに先立ち、「吉野せいの生涯について」と題する拙文が紹介された。原稿を提出したあと、2~3カ所直したいところが出たが、高校生の朗読を聴くとそうは気にならなかった。逆に、思ってもいなかったところで浮いた感じの言葉があった。ま、「内部」を「内側」にする程度のことだが。

 主催したのは同賞運営委員会といわき市。運営委員長は理科系の教授だが、弓道でも知られた存在だ。邦楽の世界にも通じている。奥さんは三味線を、本人は尺八を演奏する。あいさつを聞く限りでは、ピコ太郎がペンとパイナップルとアップルをくっつけて世界に衝撃を与えたように、委員長もそのネットワークを生かして文学と朗読・邦楽の相乗効果、俳句でいう「二物衝撃」を狙ったようだ。

 委員長と尺八でつながるユニット「びかむ・トリオ」が、この日のために創作した「固い木の実」を演奏した。『洟をたらした神』のあとがきで、せいが言っている。

「ここに収めた十六篇のものは、その時々の自分ら及び近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実のみです。口中に渋い後味だけしか残らないような固い木の実そっくりの魅力のないものでも、底辺に生き抜いた人間のしんじつの味、にじみ出ようとしているその微かな酸味の香りが仄かでいい、漂うていてくれたらと思います」

 この「固い木の実」からインスピレーションを得たのだろう。『洟をたらした神』は、向き合えば向き合うほどなにかを放射してくる。私も自分の“総合学習”の教材として、『洟をたらした神』を座右に置いている。そのときどきに発見がある。今度の邦楽との融合もそのひとつだった。

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