天日にふとんを干す。太陽の熱で湿気とかび臭さが取れ、熱がこもる。夜、ふんわりしてほのかな温もりのあるふとんに身を横たえたときの、なんともいえない気持ちよさ。このふわふわ・ほかほかは何歳になってもいいものだ。
それはしかし、だれかが、たとえば母親が干したからだ。ふとんを干してもらったからこその喜びだ。今は? カミサンにいわれてふとん干しを手伝う。
ふとんにも新旧がある。わが家のふとんは軽い。こちらはめったに干さない。夏井川渓谷の隠居にあるふとんは主に木綿綿。押入の上段にすきまなく入っている。重い。湿気を含むとさらに重くなる。
9月4~5日に隠居でミニ同級会が開かれた。前の日、天日に干したふとんを居間にたたんで置いた。どうせ雑魚寝になることだし、押入に入れてもふくらんでいて入りきらないからだ。
5日の朝は、目覚めると元のようにふとんがたたんであった。台所もきれいになっていた。単身赴任経験者が中心になって片付けたのだろう。回を重ねるごとに片付けが上手になっている。
10日の日曜日、早朝。車で隠居に向かいながら、カミサンにいわれる。「台所もふとんも片付いてるんでしょうね」。「ああ……」といったあとはダンマリを決め込む。ふとんをちゃんと押入にしまったわけではない。
隠居に着くと、すぐ土いじりを始めた。カミサンはまたふとんを天日に干した。この日はほかにも用事があって、午前11時には街に戻らないといけない。
土いじりを終えて居間に戻ると、三つ折りにした敷きぶとんが座卓に置いてある。押入にふとんを押し込んだが、最後の1枚が入らない、背の高い人、よろしく、という合図だ。すき間に無理やり押し込んだ=写真。
そういえば――。6年半前、ふとんはもちろん、普通の洗濯物も外に干せなかった。コインランドリーがにぎわった。今もにぎわっている。原発事故の心理的影響が固着したか、ただの時間節約か。
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