家の前の歩道のすき間からアサガオが芽を出した。カミサンが支柱を立てたらつるが絡まり、根元から花をつけるようになった=写真。月並みな言葉でいえば、「ど根性アサガオ」だ。
アサガオの奥に写っている建物は、道路向かいの民家の物置。前は土蔵だった。2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で傾き、1カ月後の巨大余震でさらにダメージを受けた。
真壁の土蔵を板で囲い、瓦で屋根を葺いた、重厚だが温かみのある「歴史的建造物」だった。応急的に丸太3本で支えられていたが、間もなく解体され、跡に今風の物置が建てられた。
きょう(9月11日)は東日本大震災の月命日。あれから6年半がたつ。日々の暮らしに追われている人間は、メディアの記事で“節目”を知る。8月になると、戦争と平和を考える記事が多くなる。カレンダー・ジャーナリズムと揶揄されるが、それもメディアの機能のひとつには違いない。6年半の節目の日――も、メディアの取材で意識し、防災への思いを新たにした。
8月中旬、カミサンに毎日新聞福島支局の記者から電話が入った。6年半の節目に合わせた連載を企画している。ついては取材をしたい、ということだった。初めて国内支援に入ったシャプラニール=市民による海外協力の会などと連携して、家(米屋)が「まちの交流サロン・まざり~な」になった。その経緯と現在を書きたいということなのだろう。
月遅れ盆明けにやって来たのは、入社2年目の女性記者。以来、デスクからいろいろ指摘され、福島から車で通うこと4~5回に及んだ。写真撮影にはわざわざ東京本社からカメラマンがやって来た。
その連載「復興断絶・東日本大震災6年半 つながりたい」が先週金曜日(9月8日)、社会面で始まった。掲載予定日は12日と聞いた(注・14日に掲載されました)。
震災から6年半のきょうは?新聞休刊日だ。きのう、いわき市長選の投開票が行われ、現職が圧勝した。それも紙媒体で詳しく知りたかったのだが……、じれったい。夕方のいわき民報を待つしかない。
それはさておき、毎日新聞の「復興断絶」の狙いはどこにあるのか。連載初回の末尾に「喪失から再生に向かっている人々のこころに、刻まれる深い傷。大震災から11日で6年半。ともに歩むための手掛かりを探した」とある。赤ペンを持ったつもりで、新米記者の文章を採点してやろうと思っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿