夏井川渓谷の隠居でおととい(9月4日)の夜、ミニ同級会を開いた=写真。7人が集まった。いつものようにカツオの刺し身を――ともくろんだが、台風の影響で漁船が出漁できず、マグロやタコの刺し身の盛り合わせにとどまった。タコ好きがいて助かった。
今年(2017年)7月、千島列島最北端・シュムシュ(占守)島に慰霊の旅をした同級生が参加した。終戦時、父親が樺太のある村の村長をしていたという同級生も加わった。去年、その同級生と私、ほかに2人の計4人でサハリン(樺太)を旅した。「北の戦争」を知るいい機会になった。
占守島では――。ポツダム宣言受諾後の昭和20(1945)年8月18日未明、カムチャツカ半島からソ連軍が侵攻した。同級生の父親は戦車兵として戦い、生還した。
以来、72年。同級生は父親の遺志を継いで慰霊の旅に参加した。そのときの短歌。「砲塔は確かににらむ敵上陸地
七十二年何を思いつ」。砲塔とは、島に放置されている赤さびた戦車の砲塔のことだ。散文的な説明より、短歌の方が的確に同級生の思いを伝える。臨場感もある。
間もなく古稀。集まれば決まって年金、健康、夫婦間の話になる。今年はさらにシュムシュ、サハリンの話で盛り上がった。酒が入るほどに会話はなめらかになる。なめらかすぎて、雑魚寝から一夜明けると、「メガネがない」「(入れ)歯がない」騒ぎになった。どうやって布団を敷いたのか記憶がない――何人かがそうだった。
体力が落ちているせいか、早い時間にお開きになった。「みんなに迷惑をかけないように」。奥さんにくぎを刺されてきた同級生も、正体をなくすことはなかった。
週明け月曜日の飲み会は初めてだ。世の中が生産活動を始めたのに、われわれは消費活動をしている。いささか罪深さを感じないではなかった。とはいえ、まだ現役の人間がいる。朝6時に起きると2人の姿が消えていた。私も旧交の余韻をエネルギーに、たまった用事をこなすとしよう。
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