2018年9月24日月曜日

東日本大震災追悼伝承の碑

 いわき市久之浜・大久地区の沿岸部に、3・11の大津波と火事に遭遇しながらも、奇跡的に流・焼失を免れた小祠(しょうし)がある。稲荷神社という。隣には、それよりさらに小さなちいさな秋葉神社がまつってある。
 東日本大震災から7年半――。海岸堤防はかさ上げされ、それに接続して防災緑地が設けられた。稲荷神社(秋葉神社)は、防災緑地をかき分けて進む船のように海と向かい合っている。久之浜の「希望のシンボル」でもある。

その境内に犠牲者を追悼し、津波への教訓を刻んだ「東日本大震災追悼伝承之碑」が建立され、秋分の日のきのう(9月23日)、除幕式が行われた=写真上。碑文の作成に少しかかわった縁で参列した。

 同地区を北西から南東に流れて太平洋に注ぐ大久川の源流部に、三つの頂きを持った「古里のシンボル」三森山(656メートル)がある。神社のはるか右手奥に見える「あの山がそうか」と知人に聞けば、「そうだ」という。モニュメントは、それを模したわけではないだろうが、三つの碑から成る=写真左。中央に「追悼伝承之碑」、向かって右に「碑文」、左に「犠牲者御芳名」。碑文の一部を紹介する。

「いわき市久之浜地区でも最大震度6弱の激しい揺れが5分ほど続き、多くの家屋が損壊するとともに、急激な引き潮で海中の岩礁がむき出しになった。やがて午後3時23分ごろ、東南方向から津波の第一波が押し寄せた。海岸堤防が浸水を防ぎ、安堵したのも束の間、同3時30分ごろ、今度は波高7.45メートルの巨大津波が家々を襲い、田之網、久之浜、金ケ沢、末続地区の津波被災世帯数は607世帯を数え、59名の尊い命が失われた」

 久之浜はわが孫の母親の出身地だ。市街の一角に実家がある。幸い、ぎりぎりのところで津波と火事の被害を免れた。とはいえ、いわきのなかでは久之浜は1Fに最も近い。碑文は続く。「翌日午後には、久之浜の北30キロメートルに位置する東京電力福島第一原子力発電所の建屋が水素爆発を起こし、全地区民が避難を余儀なくされた。避難先等で亡くなった住民も10名に及んだ」

 震災直後、国際NGOのシャプラニール=市民による海外協力の会がいわきで支援活動を始めた。会員でもある当時徳島大の森田康彦さん(歯学博士=いわき)が久之浜で線量調査を続け、6月下旬には市久之浜・大久支所で報告会を開いた。これが久之浜復興への第一歩だったように思う。

 除幕式は、地元復興対策協議会長、市長らのほか、遺族代表、地元小中学生が参加して行われた。終わって主催者、来賓あいさつが行われ、遺族代表の高木京子さんがあいさつに立った。碑に刻まれた犠牲者の名前を見て、「『やっとみんな会えたね』という声が聞こえるようだ」と述べたくだりで、統計としての数字ではなく、それぞれの無念の死に思いが至った。

2 件のコメント:

草野敦 さんのコメント...

はじめてコメントさせていただきます、草野と申します。
いつもこちらのブログを拝読し、いわきや福島のことについて知る参考にさせて頂いております。
不躾な質問で恐縮ですが、タカじい様は、安東量子さんの著作や論文などを読まれたことはございますか?
わたし個人的には、震災及び原発事故後を語る・読むなかで、いちばん自分の腑に落ちる文章を書かれる方です。
ですので、タカじい様ならどういう感想を持たれるか、それがどんなものであれ、ぜひお聞きしたいと思っております。

特に「海を撃つ」や「末続アトラス」などです。

今後もブログを楽しみにしております。

(こちらの投稿にコメントする理由は、ブログ内検索「末続」でこちらのご投稿がヒットしたからです。不適切でしたら申し訳ございません。)

タカじい さんのコメント...

コメントありがとうございます。本は読んでいませんが、一度、ある集会で顔を合わせたような気がします。機会があれば読んでみようと思います。