東日本大震災を経験した人間は(全員そうとはいわないが)、3月になると胸がざわつく。「3月11日なんかこない方がいいのにね」という人さえいる。しかし、まちがいなくやってくる。その日がきた以上は早く過ぎてほしい、とも思う。
そのなかでも、これだけは報告しておきたい、というものがある。個人的に関係するシャプラニール=市民による海外協力の会の「みんなでいわき」ツアーが土(3月9日)・日(同10日)に行われた。
初日は夜、迎える側の一人として懇親会に参加した。2日目は朝9時半、1Fに近い双葉郡富岡町のJR富岡駅前で合流し、町内を見て回った。ツアー参加者と同じように、原発避難を余儀なくされた自治体のその後を学んだ。
一行が来る前、神様が贈り物をくれた。待ち合わせ時間より30分ほど早く着くと、新駅舎の外に何人か高校生がいた。腕章を付けている。「新聞」の字が目に入った。もしや? 声をかけると、滋賀県から来たという。そのあとの説明を遮って、「彦根東高校!」。「そうです」、生徒たちが目を丸くした。おおー、なんだ、この出会いは――。こちらも胸が躍った。
あとで、先生2人と話す。現役部員の先輩たちが3年前の2016年3月、シャプラニールがいわきで開設・運営していた交流スペース「ぶらっと」を閉鎖する日、取材に訪れた。先生も同行していた。その先生だった。あらためて名刺を渡すと、年上の先生が、「(私の)ブログを読みました」という。またまたびっくりした。許可を得て撮影したのがこの写真(生徒はほかに4人、計9人で取材に来た)。
前日は南相馬市で取材をした。常磐線で浪江駅まで南下し、代行バスで朝8時10分、富岡駅に着いた。10時05分発の電車に乗って、Jヴィレッジと、間もなく開業するJヴレッジ駅を取材するのだという。
前回(3年前)、取材にやってきたときの様子を、拙ブログから抜粋・整理して紹介する。
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3月12日は日中、昼前から交流スペース「ぶらっと」で過ごした。夕方5時前、スタッフが天井からつり下げていた「交流スペース
ぶらっと」のプラスチック板をはずした。この日、いわきへ取材に来た滋賀県の彦根東高校新聞部員も加わって、最後に記念撮影をした。
午後3時ごろ、人の出入りがあわただしくなる。高校生記者がスタッフ、居合わせた利用者にインタビューをする。彼らは一泊二日の日程でいわきへやって来た。私も取材を受けた。
復興の度合いを数字で表すとどのくらいか――数字では答えられないので、私が感じるいわきの現状を話した。被災者の内面を想像する力を持ってほしい、現場を見てほしい、現場を見ることでなにか得られるものがあるはず――そんなことも話した。
そのときもらった「彦根東高校新聞」を読む。タブロイド判8~26ページで、年10回発行しているという。レイアウトは一般紙とスポーツ紙の中間といったところ、だろうか。デジタル技術にたけた高校生らしい自在さがある。被災地取材を継続している。質問や速記の仕方が高校生のレベルを超えている。
それから2カ月近くたって、「東日本大震災から5年――震災復興支援特集号」(4月28日付)が届いた。「福島をつなぐ2016」がシリーズのテーマらしい。タブロイド判12ページのうち、10ページを特集に当てていた。
ニュートラルな気持ちでインタビューをし、こちらが言わんとすることをきちんと伝えている。シナリオを頭に置いて誘導的な質問をするプロなど、足元にも及ばない誠実さだ。なにより、東北の被災地を継続して取材している。問題意識の高さ・粘り強さに敬服した。「記者は考える足」を実践している。
(同校新聞部は全国でもトップクラスのレベルを誇る。2017年の「みやぎ総文」=全国高校総合文化祭でも、新聞の部で10年連続最優秀賞を受賞した)
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今回も2019年3月1日付の最新号をもらった。6ページのうち、4ページを「福島をつなぐ2019」に当てた。部員は変わっても、新聞部としての取り組みは変わらない。今度も特集を組むのだろう。福祉や公益のために取材・報道することがジャーナリズムの本質だとしたら、彦根東高校新聞部は立派にジャーナリズム精神を発揮している。「彦根東高校新聞」を“購読”したくなった。
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