私と阿部は、昭和40(1965)年代後半から10年間、いわきの現代美術界をリードした草野美術ホールの“同窓生”でもある。新米画家と新米記者が事務室に出入りし、夜になると街へ飲みに繰り出す――。その縁で、阿部は喫茶店から画廊に転じた界隈で継続的に個展を開いている。個展には必ず帰国して在廊する。
拙ブログによれば、阿部の作品は次のような変遷をたどってきた。どちらも界隈での個展の記録だ。
2012年10月=ラ・マンチャ地方の風景(建物・平原)を描いている。作品のタイトルは時候に関するものが多い。午後の陽・春風・暮れどき・春めく日・春・春の午後・夕暮れ近く・秋の日・西風・西の空……。「朝」の1点をのぞいて夕暮れを描いた。
2015年1月=今回はピンク色を意識して使っている。曇ってはいるが、ピンクがかった明るい空――朝焼け・夕焼けかと聞けば、主に午後の空に引かれて描いているという。作品を「実景」と見る必要はない。画家がとらえた建物・平原・丘・空、夜の街灯……。それら一切が画家の内部で点滅した結果としての心象風景だ。
2019年3月(今回)=主に、夕暮れから夜の風景が表現されている。個展案内のはがきに使われた作品は、タイトルが「月の陽」。上部に月の周辺の明かり、その下に家。家の壁には夕焼けのような色彩が施されている。重力から自由になって浮遊する夜の家――そんな言葉が浮かんだ。
2015年の個展のオープニングパーティーには、こんなことがあった(これも拙ブログによる)。
いつもの顔ぶれのなかに1人、80歳を超えたと思われるおばあさんがいた。品のいい顔をしている。紫色の毛糸の帽子をかぶり、ラクダ色のコートに同系色の厚手のマフラーをし、手袋をして傘を持っている。
阿部の新しいコレクターだろうと思ったが、ぽつんと1人、隅のいすに座っているのが不思議だった。だれかが声をかけるわけでも、だれかに話しかけるわけでもない。祝辞と乾杯の発声が終わって参加者がテーブルの上の料理に群がると、おばあさんも加わった。
そのうち、おばあさんの姿が消えた。おばあさんを知る知人が遅れてやって来た。顔を合わせたあとにいなくなった、と知人がいう。料理の出るイベントに現れては料理を食べて帰るのだそうだ。知人の地元では知られた存在らしい。
いつ、どこで、どんなイベントがあるか、常にチェックしていないと料理にはありつけない。なんという情熱だろう。
昔、「葬式ばあさん」というのがいたそうだ。弔問客になりすましてお斎(とき)の料理を食べに来る。貧しい時代だったから、見て見ぬふりをして追いたてるようなことはしなかった。
現代の「パーティーばあさん」は貧しいのか、寂しいのか。会費制のオープニングパーティーではないから、基本的には「だれでもウエルカム」。そこをついてきた。人間っておもしろい。
おとといのオープニングパーティーは、若い人を除いて知った人ばかりだった。少し遅れて行くと、阿部がすぐ「スペインのワイン」といって紙コップについでくれた。昔、阿部が自分の住むスペインの村からワインを携えてきたことがある。癖がなくてさっぱりした味だった。その味を思い出した。
とりあえずワインのボトル=写真下=と、パーティーの様子をカメラに収める=写真上。あとでパソコンに取り込み、拡大すると、ボトルのラベルに「イゲルエラ」「セクロ」(実際はスペイン語)とあった。検索したら、イゲルエラはラ・マンチャ州のワインらしかった。セクロはスペイン北部のワイン、とあった。
スペインの夜を描いた作品を眺めながら、スペインの地ワインを飲む――セッティングされた空間とはいえ、一瞬、彼の住むラ・マンチャ州トメジョーソの村(行ったことはないが)にいるような錯覚におちいった。イゲルエラが口に合って、飲み過ぎたのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿