名前に「美」の付く3人(恵美子・由美子・里美)による微魔女企画の芝居「おかえり」がきのう(3月30日)夜7時から、いわき駅前・もりたか屋で開かれた=写真。きょうも午後2時と6時の2回、同所で上演される。
3人のうち2人を知っている。1人は大学生と高校生の“孫”の母親。1人は、わが家を取次所にしている宅配鶏卵の利用者で、市民演劇界では知られた人だ。市民演劇のおもしろさは、身近な人間が芝居をするところにある。よく知っている生身の人間が舞台でどう“変身”するか――そのギャップを確かめたい気持ちもあって、夫婦で見に行った。
チラシによると、3人が演じるのは54歳の、高校時代の同級生。1人は娘と2人で暮らしている。1人は都会生活に区切りをつけて帰郷したばかり。残る1人は、家族とともに暮らしてきた義母を見送ろうとしている。50歳を過ぎた3人の女たちは、最後にどこへ帰ろうとするのか――というのが主題のようだった。
「おかえり」は「ただいま」への返事でもある。「家」「家族」「ぬくもり」という言葉が最後に浮かび上がってきた。天井からつり下げられたまな板・へら・かご・麦わら帽子・ほうき・洗濯板などがそれを象徴する。
宮崎県都城市の劇団こふく劇場代表永山智行さんが書き下ろした。同級生の女子のほかに、男子の同級生、娘、ひげのじいさん、10歳のときの隣席の男の子など、3人で8人ほどの人物を兼ね、心の動きや状況を説明するナレーションも担当した。
会場は狭い。三角形に仕切った舞台の両側にびっしりと観客が陣取った=写真。60人余もの視線を浴びながら、長いセリフをいう。そのうえ、場面転換が早い。一人の人物造形だけでも大変なのに、男子の同級生になったり、娘になったり、じいさんになったりと、なかなか複雑だ。
アフターファイブにけいこを重ねた。水面下での、この努力があったからこそ、書き下ろし初演というぜいたくな味わいを得ることができた。日常をこなしながら非日常に切り込む3人のチャレンジ精神に、まずは敬意を表したくなった。
遠いとおい昔(10代後半)、私も“舞台”に立ったことがある。高専の寮祭で演劇コンクールが行われた。わが班はスタンダールの「赤と黒」を台本にした。私がジュリアン・ソレルを演じた。1年先輩の熱心な演技指導を受けて、出演者が本気になってけいこを積んだ。恥ずかしさや照れを通り越して演じるおもしろさに目覚めた。優勝した。(“女優”たちの熱演に触発されて、青春前期の記憶のかけらを思い出した)
“孫”の母親はときどき、音楽グループの一員として“ダンサー”になる。“女優”になるのは初めてだった(ろう)。“孫”の父親も、この日の夜、同じまちの別のところでライブに出演した。ギターを弾く。2人組のバンドで「平凡ズ」という。
アフターファイブをそれぞれ自分の好きな表現活動に使う――そういう市民が多いまちは楽しい。文化とは本来、「暮らし方」のことだ。暮らしのなかに演劇があり、音楽がある。市民芸術のすそ野が広いまちに住んでいる心地よさ・おもしろさを、しみじみと感じた夜だった。
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