『かがみの孤城』『海辺のカフカ』『学校崩壊』『意地』『シーイング―錯視 脳と心のメカニズム』『傀儡子(くぐつし)の糸』……。しりとりで選んだ本が並ぶ=写真。村上春樹の『海辺のカフカ』以外は、作者もジャンルもわからない。が、自分の好みの世界から飛び出して、今まで興味も関心もなかった分野に足を踏み入れる――という意味では、ときに有効な手段かもしれない。
“しりとり本”ではないが、ここ数カ月、キノコが登場する本を図書館のホームページで調べ、借りては読み、借りては読み、を繰り返している。自然科学系のキノコ本はわきに置いて、人文系の文学・美術・民俗・古典などに目を通している。
3月に入ってからは、嵐山光三郎『頬っぺた落とし、う、うまい!』、田久保英夫『生魄(せいはく)』、ニコライ・スラトコフ『北の森の十二か月』(上・下)、西村寿行『霖雨の時計台』、南木佳士『神かくし』、ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』、高樹のぶ子『彩月 季節の短編』、小川洋子『薬指の標本』その他を手に取った。
今まで知らなかった作家、知っていても読んだことのなかった作家がほとんどだ。20歳前は行きあたりばったりの乱読だったが、50年たった今は、乱読は乱読でもキノコがキーワードになっている。それでもまだ一部しか読んでいない、という思いが強い。
“しりとり本”が音(おん)で連なるアナログ的読書だとすると、“キノコ本”はデジタル的読書だろうか。たとえば、句集。作句順によるもの(アナログ的)と、季語によるもの(デジタル的)とがある。“キノコ本”は後者に近い。
きのう(3月16日)、用があっていわき市立草野心平記念文学館へ出かけた。壁面にいろんなポスターが張ってある。世田谷文学館で開かれている「ヒグチユウコ展CIRCUS(サーカス)」のポスターに、キノコらしいものが描かれていた。
家に帰って検索したら、今や人気沸騰中のイラストレーターらしい。主に猫やキノコを描く。人間の足を持ったベニテングタケ、同じく柄がだんだんタコの足に変わるベニテングタケ、頭がアミガサタケのカエルなど、妖しげな生きものたちが画面に躍る。現実と空想がまじりあった画風が人を引きつけているようだ。
森に入るとキノコ目になる。キノコがあればすぐ目に留まる。今は森の中ではなく、街や屋内でもそれらしいものがあると確かめてみたくなる。ヒグチユウコという人を、遅まきながらそうして“発見”した。水玉の画家草間彌生もまた、キノコ派ではなかったか。
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