それから四半世紀――。若い人たちは頭からつま先まで、情報社会のなかで生きている。マスメディアが独占していた情報発信に風穴が開き、個人がメディアになった。文学や音楽その他の表現活動も、デジタル技術がプロ・アマの垣根を取り払った。もちろん、それらには「玉(ぎょく)」も「石(せき)」もある。
「平凡ズ」。いわきを拠点に活動しているアマチュアの音楽グループ(2人組)だ。前は「やすしゆたか」といった。最近、「7月10日のフィッシュボーン・パーク」というCDを出した=写真。2人のうち1人は、大学生と高校生の“孫”の父親でもある。ふだんは実業に励んでいる。もう1人も、会えばあいさつするくらいの知り合いではある。こちらは音楽関係の会社を経営している。
先週の土曜日(3月2日)、“孫”の母親からCDの恵贈にあずかった。アルバムに収録されている曲は14曲、うち6曲は「アコースティックバージョン」、実質的には8曲だ。
車を運転しながら聴いている。第一印象は、昭和の香りがする家族の歌――だった。「平凡ズ」は40代。私とは、団塊の世代と団塊ジュニアのような関係になる。「お茶の間」の歌詞はそのまま団塊世代の幼少年期とつながる。
歌詞の一部。「足の付いたテレビひとつ みんなで見ていると怖くなかった/暗い町は静かに眠る 買い物できなくても困りはしないよ/さあ帰ろうあのお茶の間/きっとみんなが待っている湯気を出すあの窓の中/きっと誰かが待っている素直に笑える場所で」。確かに、私たちが見たテレビには足が付いていた。
「この懐かしさは決してノスタルジーではなくて一つのパラドックスの表現だ」。CDケースの、本でいうと「帯」にそうあるが、団塊のおやじは素直に郷愁にひたった。若い人は郷愁抜きで感じるままに聴けばいい。
歌詞カードには、「つ」の付く年齢の、幼いころの写真も添えられている。カードの最後には、英語で「2人の母へ」という献辞が記されていた。アルバム制作の根っこにある思いが読みとれる。
と、ここまで書いてきて、アコースティックバージョンにはない「ザザンボの花」と「はだほでしでほで」に触れないわけにはいかない、という思いがわいた。
「ザザンボ」は葬式を指す福島県内の方言だ。阿武隈高地では「ザザンボ」のほかに、「ザランポ」とも言った。これが浜通りのいわきになると、「ジャンポン」に変わる。「ザザンボの花」はヒガンバナ(マンジュシャゲ)。死のそばには性、いや生がある。子どもの春への思いをうたっているようだ。
「はだほでしでほで」からは、ハナ肇とクレージーキャッツの「ハラホレヒレハラ」を連想した。作家向田邦子は子どものころ、「荒城の月」に出てくる「めぐる盃」を「眠る盃」と間違って覚えた。それと同じで、「ハラホレヒレハラ」を「ハダホデシデホデ」と聞いたか。どちらの曲も、綱渡りのような“実験作”といえるかもしれない。
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