主に首都圏、そして遠くは大阪府、北は宮城県から計15人が参加した。初日(3月9日)は、平・下平窪の中華料理店で昼食をとり、若いシェフの話を聴いたあと、川向かいのオリーブ農場で作業を手伝った。夜は常磐湯本町の温泉旅館古滝屋に泊まった。
シャプラニールは東日本大震災直後から5年間、いわきで支援活動を展開した。緊急支援のあとは生活と心の支援を兼ねて、交流スペース「ぶらっと」を開設・運営した。現地スタッフとして雇用された3人と、協力者1人、それに私ら夫婦が古滝屋での懇親会=写真上1=に参加した。
同ツアーは震災から1年後に始まった。今回で8回目だ。自己紹介の時間になると、「もういわきに何回来たかわからない」というリピーターが相次いだ。参加者同士はもちろん、私ら地元の人間とも“旧交”を温める場になった。
初参加の人も、東北の被災地に寄せる思いは強い。「いわきに来たいとずっと思っていたが、両親の介護があってできなかった。1年前に介護が終わって、やっと参加することができた」。シャプラニール草創期のメンバーの一人だ。この女性とは震災の年の6月、東京で開かれたシャプラニールの総会で会っている。
双葉町からいわきに避難し、「ぶらっと」で働いた元スタッフは、「この時期になると、いやでも当時のことを思い出す。『(みなさん、被災地のことを)忘れていないんだ』とうれしくなった」。彼女は、今は2児の母親だ。
古滝屋の若だんなも、あとで顔を出した。彼もまた、いわきでのシャプラニールの活動に共鳴して、シャプラニールの仲間に加わった。私としては先代社長と2代続きのつきあいになる。
「取り残さない」。これが、シャプラニールの活動の原点だ。その精神が「ぶらっと」になり、今に続くツアーに受け継がれている。ツアー参加者と元スタッフらの双方が、親戚に会うような感覚で“再会”していることでもそれがわかる。大きなイベントでは築けない個々のつながり、これを確かめる懇親会でもあった。
古滝屋のスタッフだという若い女性も若だんなにうながされてあいさつした。間もなくネパールへ旅立つ。大学で栄養学を専攻した。それをネパールで生かしたいという。シャプラニールはバングラデシュのほかに、ネパールでも支援活動を展開している。前からシャプラニールの活動を承知していたとかで、今度のツアーを介してまた新しい人とつながりができた。
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さて、きのう(3月11日)は午後、インドカレー料理店に米を配達し、その足で車のガソリンを満タンにした。
料理店は新舞子海岸にあった。8年前のあの日、店が津波に襲われて大破し、内陸に場所を移して営業を再開した。原発事故では車のガソリンがなくて、一時避難を逡巡した。それに懲りて、燃料計の針が半分を指すと満タンにする。これだけは今、“習性”から“本性”になった。
朝、カミサンが「(あの日は)金曜日だったんだ」とつぶやく。よく見ると、11日にはマジックで黒丸がついている。ほかに、「区役員会」(12日)、いわき地域学會の「市民講座・役員会」(19日)、小学校卒業式(23日)といった書き込みがある。これらはすべて中止か延期になった。このカレンダーはわが家の“震災遺物”でもある。
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