震災前、双葉郡富岡町のショッピングプラザ「トムトム」まで出かけて、古書の展示即売会をのぞいたことがある。ついでに食料品などを買って帰った。カミサンが、いわきのスーパーマルトなどには置いていない高級食材を見てびっくりしていた。東電社員の給与水準に合わせた品ぞろえのようだった。
シャプラニール=市民による海外協力の会主催のみんなでいわきツアー2日目(3月10日)は、富岡町視察だった。一行は、桜並木で知られる夜ノ森地区を見たあと、JR常磐線富岡駅前へ移動した。そこで一行と合流した。
駅とその周辺は大津波に襲われた。海と駅の間にあった家並みは消え、海がじかに見えるようになった。ツアーガイドを務めた「富岡さくら会」の田中美奈子さん(富岡から避難し、いわきに在住)が、写真を見せながら説明した。
一行はさらに駅の北方にある海食崖へ移動し、沿岸部を眺めたあと、内陸の商店街、富岡高校などをバスの車中から見た。私ら夫婦は車でバスを追いかけた。
2013年11月2日に、首都圏からやって来た“ダークツーリズム”の一行と山麓線沿いの民家や夜ノ森地区、富岡駅周辺を巡ったことがある。町全体のイメージはつかめないが、ピンポイント的に訪ねたところは思い出す。商店街も震災前に通ったことがある。震災後も一度、通った。ずいぶん景観が変わった印象だ。
「商店街は家が解体されて更地が増えた」と田中さんはいう。確かに更地が増えている。屋根にブルーシートがかけられていたらしい建物もあった=写真上1。シートは紫外線で劣化し、ちぎれてなくなったようだ。点々とある黒いものはシートの重しか。
富岡高校は商店街の西の丘にある。若いころ、職場に同校卒の新入社員が配属された。彼女の親が亡くなった年の月遅れ盆に、彼女の実家へ焼香に行ったことがある。夜ノ森地区の西方にあったように記憶する。
富岡高校は2年前に休校した。道路沿いの柵の内側に「祝 平成22年度全国高等学校総合体育大会出場 学校対抗バドミントン部男子・女子……」など10枚の掲示板が残る=写真上2。
そのなかに「桃田賢斗」の名が二つ。桃田は今や男子バドミントン界では世界トップレベルの選手だ。香川県出身の少年は、中学校・高校と震災前、富岡で過ごした。一時はめをはずして謹慎したこともあったが、見事に復活した。
バドミントン部はトップアスリート系列運動部の一つだった。それは今、ふたば未来学園高校(広野町)の猪苗代校に引き継がれている。
ショッピングプラザ「トムトム」は「さくらモールとみおか」に、道路向かいの東電PR施設は「廃炉資料館」に替わった。楢葉町と広野町にまたがるJヴィレッジも再開した。一行はバスの中で田中さんからそれらの説明を受けたことだろう。
Jヴィレッジの中を通ったあと、常磐道広野インターチェンジへ向かう。視察はそれで終わり、インターチェンジの駐車場であいさつをして一行と別れる。私自身、富岡町の記憶を“アップデート(最新化)”するいい機会になった。
さて、「3・11」が過ぎて、“原発震災”9年目に入った。あの日のことは、ふだんは胸底に沈んでいる。が、3月前半はどうしても、澱(おり)のようなものがわきあがる。それをまた沈めながら、みんなでいわきツアー同行記を終える。
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