おととい(3月7日)は、BSプレミアムからBS1に切り替え、ワールドニュースを見ているうちに9時になった。おどろおどろしい文字が目に飛び込んできた。「被曝の森2018 見えてきた“汚染循環”」。あとで確かめたら、再々放送のようだった。
ノートパソコンのふたを閉じて、「ながら」をやめて見た。そこは私が生まれ育ち、遊んだ阿武隈高地の西の森からは分水嶺をはさんだ東の森だ。植物、菌類(キノコ)、動物……。その森のいきものたちが、1Fの爆発事故によってどんな影響を受けたのか――。科学的調査とその知見を伝える番組だった。
キノコの話にしぼる。キノコは放射性セシウムを吸収するだけではなかった、拡散もしていた。森の放射線量が春と秋に高くなるのは、キノコの胞子が飛散するからだという=写真。
土壌から生えるキノコのイメージはこんな感じだろうか。キノコの本体は地中に張り巡らされた菌糸。そこから地上にあらわれるのが、私たちがキノコと言っている子実体(しじったい)。子実体は子孫をつくるための一時的な胞子形成・発射装置にすぎない。
で、地表に近い菌糸は放射性セシウムをカリウムと思って吸収する。吸収されたセシウムは胞子にも取り込まれ、やがて子実体から胞子とともに放出・拡散される。このキノコによる吸収と拡散は“汚染循環”の象徴そのものではないか。
番組を見ながら、金子みすゞの「星とたんぽぽ」を思い出していた。「見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。」。見えないものを見えるようにする8年間だった。しかし、見ようとしない人間には見えない8年間でもあった。
ネットで拾った文献、たとえばチェルノブイリ原発事故後に発表された論考「キノコと放射性セシウム」(村松康行・吉田聡)や、1F事故に伴う「大気粒子から植物への放射性セシウム移行可能性の実証実験」(北和之ほか)などと照らし合わせると、核実験の時代から心ならずも動物や植物を含んで“汚染循環”に関係してしまったキノコの苦しみ、怒りがみえてくる。だれがキノコをそうさせた?
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