2020年1月23日木曜日

港の交易で栄えた下川

 いわき市勿来関文学歴史館で企画展「出目洞白(でめとうはく)――いわきが生んだ天下一の能面師」が開かれている(3月17日まで)。
洞白(1633~1715年)は本名・水野谷加兵衛。江戸時代初期、今のいわき市泉町下川に生まれた。そのころの下川はどんなところだったのか。風光明媚な河口と浜が広がり、港(津)があって、古くから栄えていた――。人の文章や話から漠然としたイメージは浮かんでも、よくはわかっていなかった。

能面に引かれ、ついには京へ上って「天下一」の称号を与えられるまでになる人物について、いわきの歴史学も十分に調査・研究してきたとは言いがたい。結局、洞白は下川以外では広く知られることがなかった。

これは偶然だが、先の土曜日(1月18日)、いわき市文化センターでいわき地域学會の市民講座が開かれた。会員で元いわき明星大教授の江尻陽三郎さんが、地元の「泉町下川地区の環境改善に向けて」と題して話した=写真上。洞白についてなにかしら得られるものがあるのではないか。そんな期待を抱きながら聴講した。図星だった。下川では、洞白はまちづくりのシンボル、いや原点のような存在だった。

下川地区は三方を工業専用地域に囲まれている。藤原川の河口をはさんで、左岸域は小名浜臨海工業地帯、右岸域の下川地区も河口部が昭和40年代に埋め立てられ、石油タンク群が建設された=写真下(レジュメから)。工場もつくられた。そんな下川地区の当面の課題として、歴代区長やまちづくりを考えるボランティア団体「下川を考える会」が住民アンケートを取ってまとめた環境改善策について、江尻さんが解説した。
具体的には、①藤原川河口右岸とそれに交わる宝殊院川を普通の土手に②萱手堤に周回遊歩道を③南部清掃センターの移転④石油タンク群の防災対策――の4点で、東日本大震災の大津波で気仙沼のタンク群が流失・炎上し、市街地が大火災になったことに危機感を抱いての提言だった。

高度経済成長時代以前の下川は、自然景観の美しさが醸しだす「風格のある佇まい」があった。そうした自然景観と風格が洞白を生んだと、江尻さんはいう。

講座が終わり、質疑応答に入って質問した。「風格のある佇まい」が洞白を生んだという説明には納得がいった。しかし、自然景観だけでなく、人文的な要素、たとえば下川は港(津)で栄えた歴史があるそうだから、そうした文化的、経済的な環境も「風格のある佇まい」を形成する要素になったのではないか――。

地元の下川から洞白研究者の三戸利雄さんという人が来ていた。江尻さんからうながされて三戸さんが代わりに答える。「今から400年前、下川には廻船問屋があって栄えた。そういったことも洞白を生んだ要因だろう」

実は、先の連休中、文歴を訪ねて洞白の能面を見た。能面のもつ魔力のようものに引かれた。2月8日には、三戸さんが文歴の近くにある体験学習施設「吹風殿(すいふうでん)」で洞白について講演する。同じ日の同じ時間帯に防災関係の研修会がある。残念ながら聴講はかなわないが、レジュメがあれば手に入れたいとは思っている。

文歴には洞白が地元の神社に奉納した能面のほかに、菩提寺に寄進した「黒石大明神縁起絵巻」が展示されている。それらの感想については、いずれ――。

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