2020年1月24日金曜日

天下一の能面師

 きのう(1月23日)の続き――。いわき市勿来関文学歴史館の企画展「出目洞白(でめとうはく)――いわきが生んだ天下一の能面師」には、6面の能面(うち「若女」は複製)が展示されている。
いつもだとすぐ見終わって、展示スペースの狭さだけが印象に残るのだが、今回はそれが気にならなかった。館長らの説明を聴きながら、面を一つひとつ、じっくりと眺めた。ホンモノが持つ磁力、見る角度で異なる能面の表情、つまりは奥深さに引きずり込まれた。洞白が晩年、ふるさと・泉町下川の菩提寺・源養院(明治の廃仏毀釈で廃寺)に奉納した「黒石大明神縁起絵巻」も見応えがあった。

洞白は若いころ、一時ふるさとに戻り、下川の根渡神社に自作の翁面(白式尉)、津神社に同じく翁面(黒式尉)、出羽神社に雷電面を奉納した。白式尉は現在行方不明だが、2面の能面と「黒石大明神縁起絵巻」はいわき市の指定文化財になっている。

 図録と『いわき史料集成』第3・第4冊、『いわき市の文化財』をめくって、にわかにかき集めた知識で書いてみる。

能面は思ったより小さい――。それが、最初に感じたことだった。翁と雷電=写真上1(図録から)=の特徴は、『いわき市の文化財』によれば、次のようなものだ。

翁は、正月などに演目に先立って登場する。天下泰平、国家安泰を祝祷する。津神社の面はキリ材で、切顎(きりあご)になっている。まなじりは下がり、歯の欠けた様子など、翁の風貌をよく伝えている。(見るからに好々爺という印象)

 雷電は菅原道真の化身でもある。道真は不遇のうちに大宰府で死ぬ。死後、雷電となって内裏に飛び込み、生前果たせなかった恨みを晴らそうとする。面はヒノキ材。「炯々(けいけい)たる金色の両眼、さかだつような眉、口をかっと開き朱の舌を出し、牙をむき出した形相は鬼気迫るもの」がある。(鼻が大きい。鼻息だけで毒されそうだ)
 思わずニヤリとしたのはわが地元、平中神谷の出羽神社が所蔵する「茗荷悪尉(みょうがあくじょう)」=写真上2(図録から)。『いわき史料集成』第3冊の口絵にも面が載る。歴史家の故菊池康雄さんが神社と面の関係について解説している。

享保10(1725)年2月、神社の神庫に賊が入り、社宝や別人作の茗荷悪尉面などが盗まれた。磐城平藩主の父、内藤政栄(号露沾=1655~1733年)は2代目洞白(洞水=洞白のせがれ)に命じて猿田彦面と茗荷悪尉面をつくらせ、同11年9月に奉納した。

面は、材質がヒノキで、目の詰んだ良材を用いている。頬骨は高く張って、口を開く。上の歯は4本だが1本が欠け、下の歯も2本のうち1本が欠けている――。菊地さんはそう解説したあと、「植毛の口ひげやあごひげを付けた顔は、さぞ恐ろしげな老人であったろう」「彩色は剥落して能面特有の美しさは見られないが、古雅な味は豊かである」と続ける。

口元が緩んだのは、“八の字眉の歯っかけじいさん”を連想したからだが、本来は“怖いじいさん”でないといけないらしい。

「黒石大明神縁起絵巻」は『いわき史料集成』第4冊に口絵が載り=写真右・下、いわき地域学會の先輩である小野一雄さんが詳細な解説を書いている。ここはそれを下敷きにした文歴の図録で簡単に紹介しておく。

 題字と詞書(ことばがき)は内藤家に仕えた能書家佐々木文山、絵は長府藩の御用絵師狩野洞学(子孫に明治期の狩野芳崖がいる)。八岐大蛇(やまたのおろち)伝説に弘法大師伝説、巨石伝説、長者伝説などがごちゃまぜになった“下川版絵巻”といったところか。

 小野さんによれば、この絵巻もまた数奇な運命をたどった。廃仏毀釈の嵐のなかで市外に流失し、大正に入ってすぐ、地元の篤志家が東京・浅草の骨董市に出ていたのを買い戻し、その後、下川・神笑(かみわらい)区に寄贈した(神が降りて笑うところ? その伝説がある。今度はカミワライという地名が気になってきた)。ぜひ、下川の宝を、洞白のウデの冴えを見に勿来文歴へ――。

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