2020年の最初の朝を迎えたきのう――。雑煮を食べたあと、カミサンが大みそかに引き続き、茶の間の押入をガサゴソやり始めた。と、間もなく「あった!」。しかし、それは“あるモノ”ではなく、前から探していた堀川正美の詩集『枯れる瑠璃玉 1963-1970』(思潮社、1971年再版)だった=写真。
これが元日に出てきたのはそれこそ僥倖、カミサンではなく神様からの“お年玉”のようなものだ。
この詩集はなぜか、消えては現れ、現れては消える、ということを繰り返している。東北地方太平洋沖地震で家の本棚から本が雪崩を打ったとき、どこかにまぎれこんでいた『枯れる瑠璃玉』が出てきた。断捨離をして、本棚に戻し終えたら、また『枯れる瑠璃玉』がどこかへ消えた。
いつも必要なときに見当たらない。特に、“文化菌類学”と称してキノコ関係の小説やエッセー、ルポルタージュ、研究書を読み漁った去年(2019年)、これを再読したかったのだがかなわなかった。
堀川の詩には生物がしばしば登場する。蝶でいうと、アイノミドリシジミやキマダラルリツバメ、ヒメジャノメなど。単に一般名称の「蝶」や「チョウ」ではなく、個別・具体の種名が並ぶ。植物も、動物も――。その記憶があったから、去年は特に、折に触れて探してきた。
詩集と一緒に出てきたものを見てわかった。カミサンの中学校時代の書き物があった。やはり、震災のときにどこからか出てきたのだろう。それらを入れた箱に、どういうわけか『枯れる瑠璃玉』がまぎれ込んでしまったようだ。
さっそく今年の本の“読み初め”をする。「ムラサキフウセンタケのとぶ胞子」「暗い菌類の帝国はつづく」「菌が 闇のなかであかるむ
ほのかにまたたく」「すると八月/タマゴタケのきのこ/たちあがる第一日」といった菌類関連の詩句に出合う。キノコもまた、堀川は個別・具体の種名で記している。
堀川はこのあと、50歳を前に中央詩壇から姿を消し、カミキリムシの研究に没頭する。ネットで検索すると、「カミキリムシ類」に関する「堀川正美コレクション」が「農業環境技術研究所昆虫標本館に寄贈」された、という記事に出合う。そのコレクションは「非常に良質な学術研究用昆虫標本」だという。
さらに還暦前、研究対象をゾウムシに絞り、「神奈川を代表するゾウムシ屋の一人」と目されるまでになった。堀川の名を冠したものにホリカワアシブトゾウムシがある。その後は、「未記載種の植物関係を調べている」ともあった。
詩を書く代わりに虫を調べる。詩壇に君臨する代わりに森をさまよう。それもまた詩人的生きたかではある。『枯れる瑠璃玉』は今度こそ「三度目の正直」で、テレビの前の本棚に差し込んで人には触らせないようにする。“あるモノ”はこの際、新しく買うしかないか。
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