日曜日なので、街で用事を済ませたあと、夏井川渓谷の隠居へ車を走らせた。まだ松の内だが、次の日曜日になると、正月様が取り残される。庭でドラム缶を使ってお焚き上げをした。終わって隠居にこもっていると、霰(あられ)が降ってきた=写真上1。これはしかし、15分ほどでやんだ。雲が去ると青空が広がった。
この年末年始は、12月29日ときのうの1月5日が日曜日だった。週休2日のサラリーマンには最高の曜日の配列になった。公務員の場合、2019年の仕事納めは例年(12月28日)より1日早い27日、2020年の仕事始めは例年(1月4日)より2日遅いきょう6日だ。いつもだと年末年始休6日だが、今年は9日にのびた。
さて、年が明けると3が日の天気が気になる。俳句の新年の季語に「御降(おさがり)」がある。正月3が日に降る雨や雪のことをいう。元日から空を見上げては、雪は、雨は――と雲のかたちをうかがう。
今年(2020年)は元日、2日は晴れ。空にはネズミではなく、跳びはねるリスのような雲=写真上2=も浮かんでいた。元日、若い仲間が去年に引き続き、いわき市と鮫川村にまたがる朝日山(797メートル)から初日の出を拝み、富士山を撮影することに成功した。天気には恵まれた。3日は曇り。少々、お湿りもあった。久しぶりの「御降」」である。
拙ブログを確かめると、ちょうど10年前の2010年1月に、「御降」について書いていた。
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元日の午後、夏井川渓谷の隠居で雪に降られた。車の屋根に雪が積もり始めたので、慌てて街へ帰った。小名浜も元日の朝、うっすら雪化粧をしていた。
俳句の世界では、正月3が日に降る雨や雪を「御降」という。新年の季語だ。「御降」というくらいだから、正月の雪や雨は吉兆なのだろう。
「御降」の句で思い出す俳僧がいる。出羽の国で生まれ、磐城の專称寺で修行し、幕末の江戸で俳諧宗匠として鳴らした一具庵一具(1781~1853年)だ。『一具全集』に「御降」の句がいくつかある。
戸にさわる御降聞(い)て起(き)にけり
御降りや西丸下のしめるまで
御降や小袖をしまぬ歩行(あるき)ぶり
城山や御降ながら暮(れ)かゝる
昨日の続きの日の出ではなく、年が改まった最初の日の出を「初日の出」というように、正月3が日の雨や雪は、やはり特別の雨や雪、つまり「御降」だ。晴れても、雨が降っても、雪が降っても、要はどっちに転んでも正月はめでたいのだ。そういうことだろう。
俳句の世界では、正月3が日に降る雨や雪を「御降」という。新年の季語だ。「御降」というくらいだから、正月の雪や雨は吉兆なのだろう。
「御降」の句で思い出す俳僧がいる。出羽の国で生まれ、磐城の專称寺で修行し、幕末の江戸で俳諧宗匠として鳴らした一具庵一具(1781~1853年)だ。『一具全集』に「御降」の句がいくつかある。
戸にさわる御降聞(い)て起(き)にけり
御降りや西丸下のしめるまで
御降や小袖をしまぬ歩行(あるき)ぶり
城山や御降ながら暮(れ)かゝる
昨日の続きの日の出ではなく、年が改まった最初の日の出を「初日の出」というように、正月3が日の雨や雪は、やはり特別の雨や雪、つまり「御降」だ。晴れても、雨が降っても、雪が降っても、要はどっちに転んでも正月はめでたいのだ。そういうことだろう。
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たった10年後の今はしかし、悠長なことをいってはいられなくなった。大みそかの烈風には肝を冷やした。渓谷では木が倒れて道をふさいだらしい。道端に太い木が切断されて転がっていた。年末29日の日曜日にはなかった。
タイヤはまだノーマルのまま。1月後半~2月がいわきの厳寒期だ。これから雪が降れば積もるかもしれない。白菜の漬物がすぐ酸味を増すほど暖冬気味なのものだから、いわきの平地を走る分にはノーマルでも支障はないだろうと、スタッドレスをはくのを遅らせているが、そろそろ切り替えるか。
けさはこれから、家の前のごみ集積所にネットを出す。年末年始にたまった「燃やすごみ」がどっと出る。「ふだんの一日」とともに、カラスとの長い闘いがまた始まる。
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