2020年10月25日日曜日

昭和13年の仕入帳・上

                    
 昭和13(1938)年の米穀兼雑貨商の仕入帳をカミサンに見せられた。ハードカバーの横書きノート60ページで、40ページは1月1日から12月29日まで1年間の仕入れの記帳に使い、余白には、後ろから縦書きで散文と詩が書き込まれている。横書きはほぼ楷書だが、縦書きは流麗な行書体に近い。義母(カミサンの母親)の字だという。

 仕入帳はカミサンの実家から出てきた。実家は今も米穀兼雑貨商を営んでいる。

 義母は大正7(1918)年に生まれ、磐城高女(現磐城桜が丘高校)を出て家業を継ぎ、昭和17(1942)年に結婚した(義父が婿に入った)。ということは、20歳か21歳の独身のときのノートだ。

もともとは東京・下町の生まれで、関東大震災が起きる前、子どものいなかった平の本家の養女になった。家業に就くと仕入れの記帳をまかされたのだろう。それで、用済みのノートの余白に、自分の好きな散文と詩人の作品を書き写したらしい。カミサンが遺品としてノートを手元に置いていた。

 まずは82年前の仕入帳に記された商品から――。1月初旬の購入品には「ビーズ半打」「小ローソク10ケ」「封筒2把」「片栗粉10本」「白砂糖2〆」「ハガキ600」などがある=写真。品名・数量のほかに、単価・買入価格・仕入先が書かれている。

 日本郵趣協会によると、同13年当時のはがきは2銭だった。はがき600枚は小売値では計12円になる。郵便局からの仕入れ値は、それよりほんの少し安い。その差が店の手数料になるのだろう。この年、はがきを仕入れたのはこれ1回きりだ。1月のあたまに小売り1年分を準備した、ということか。

 写真にはないが、「鯨半打」とあるのは鯨肉の大和煮缶詰半ダースのことだろう。「チョコリング」は今もあるのと同じなら、チョコレートを塗ったドーナツ。「ミルケット」も語感からしてミルクとビスケットを混合したお菓子を連想させる。「味ソパン」は味噌パン。今も味噌を練り込んで焼いたり、蒸したりするパンがあるそうだから、それか。

食料品だけではない。小間物からかさばる物まで種々雑多な物を売っていた。「樫マキ」「楢ザク」「雑ザク」などは薪(まき)のことだろう。「マニラ」はわからない。マニラと聞いて思い浮かぶのはマニラ麻だ。カミサンによると、マニラ麻のロープを売っていた。それのことか。「パイレブロークン」はまったく検索に引っかかってこなかった。(追記:「パイレ」は「パイン」の誤読だった。パインブロークン、パイナップルの缶詰だろう)

「インピレス1打」は、断続的に半日も検索を続けて、やっとイメージがつかめた。インピレスは殺虫剤のメーカー名あるいは商品名で、市販用の物は瓶に入っていたらしい。だから1ダース、そんな単位で小売店が仕入れた。卸元は平・本町通りの老舗が主だった。

昭和13年といえば、前年夏に日中戦争が起き、太平洋戦争へと向かって国家総動員法が施行された年だ。政府はこの年、同15年に予定されていた東京オリンピックの開催権を返上している。ナチスドイツではホロコーストへとつながる最初のユダヤ人迫害事件(水晶の夜)が起きた。

商店の跡継ぎ娘はそのころ、どんな思いで時代と社会に向き合っていたのだろう。あしたはノートに残る詩人の作品などを手がかりに、そのへんのところを考えてみる。

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