2020年10月31日土曜日

冬は川も凍った

                    
   11年前の2009年2月12日に、こんなことをブログに書いていた(文章を一部修正、年数も現時点からのものに直した)。

――いわき総合図書館内の「愚庵文庫」に草野悟郎さんのエッセー集『百合』がある。新書版で、昭和37(1962)年2月に発行された(非売品)。通称「ゴロー先生」。詩人草野心平のいとこで、当時、平二中の校長を務めていた。生徒会誌や新聞などに発表した文章が収録されている。

なかに<早春幻想>と題された、生徒向けの文章がある。書き出しはこうだ。「今朝も夏井川に氷が流れる。この冬三度目のことである。夏井川に氷の流れる朝は、格別寒さがきびしいのだと人々は云う。たしかに寒い。しかし二月もなかばとなれば、さすがに陽の光がちがう。明るさがちがう。はっきりと目には見えないが、春はもう近くに忍び寄っている」

自然は争わない、調和を保って移っていく。ところが、人間はあせっている、いらいらしている。どんな人間にも花は咲く。生徒諸君、木々や草々の誠実と賢明を学ぼう、というのが文章の趣旨だが、ここでは夏井川の氷に絞る。

ざっと60年前の冬、夏井川には上流から氷の流れてくることがあった。東北で一番早く春が来るところとはいえ、冬はいちだんと厳しい寒気に包まれる、そんな日々もあったのだ。

今はどうか。川の流氷を見るなんてことはまず考えられない。この40年の間でも、夏井川の岸辺が白く凍りつくような厳冬は、2回、いや3回くらいではなかったか。「ゴロー先生」と同じく、平二中学区内の夏井川を毎日見て暮らしている者には、半世紀前の流氷は夢まぼろしに等しい――。

話は現代に戻って、10月24日付のいわき民報最終面。関内幸介さんの「長橋だより」(その二十)=写真=の最後のくだりに、目がくぎ付けになった。

夏井川渓谷の真冬の光景である。「林道が霜柱で蓋(おお)われると、山の中は静かになります。冬、滝水は氷柱(つらら)に変わり、夏井川は凍結して厚い氷の上を歩いて渡れました。日陰の雪は春まで溶けませんでした」。やはり、昭和20~30年代の思い出だろう。

関内さんの父親は渓谷にある水力発電所に勤めていた。発電所は日立電力が経営し、敗戦後、東北電力に移管された。関内さんは子どものころ、発電所の社宅に住んでいたらしい。「当時、発電、送電、工務、雑役まで含めると、30人近い人々が生活していました。その空間は当時いわきのどこにもなかった別世界でした」

 子どもたちは周囲の山でキノコを採ったり、山奥の水晶鉱山跡へ行って水晶を掘ったりした。山や尾根、谷、大きな石には名前が付いていた。尾根の松林にはマツタケが輪状に発生した。そして、冬になると滝も川面も凍って、流水の音が途絶えて静かになる……。

 私のなかで、ゴロー先生の語る川の流氷と関内さんがつづる渓谷の川の凍結がつながった。中通り南部の久慈川では、川面に浮いて流れるシャーベット状の氷を「シガ」と呼ぶ。冬の風物詩だという。

それと同じ現象が夏井川でも起きていたのだ。少なくとも昭和30年代まで、極寒期になると渓谷の流れは凍り、春先には「シガ」が下流の街まで流れて来た。ゴロー先生は学校への行き帰り、夏井川に架かる橋からこの「シガ」を目撃したのだ。

 そのころ、私は阿武隈の山里の小学生だった。冬、町の銭湯へ行った帰り、ぬれた手ぬぐいをグルグルまわしていると、すぐパリパリに凍って板のようになった。

それから60年。夏井川渓谷の滝も、川も全面凍結をすることはなくなった。常時、流水の音がしている。昨冬はついに車のタイヤもノーマルのままだった。地球温暖化は地域温暖化として顕在化し、コロナ問題と同時に、温暖化にブレーキをかけるための「新しい生活」が必要になった。

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