2024年1月15日月曜日

私労働小説

           
 物心づいたころから、1月15日が国民の祝日「成人の日」だった。それがハッピーマンデー制度によって、平成12(2000)年から1月第2月曜日に変わった。

今年(2024)は1月8日だったが、年寄りには今もって「月曜日の成人の日」がピンとこない。

 この日の「天声人語」は、成人の日にからめて、作家中島らも(1952~2004年)の生涯を振り返っていた。

 「異形の作家は酒を飲み、階段から落ちて亡くなった。その年に生まれた世代が、今年でもう20歳になる」

 それに続く落ちの部分。「らもさんは成人式に呼ばれると、ポール・ニザンが著した『アデン・アラビア』の冒頭を読み上げたという」

 おお、あんたもそうだったのか!(20歳前後に『アデン・アラビア』の冒頭部分を読んで胸を熱くした、その記憶がよみがえる)

 たまたまブレイディみかこ著『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA、2023年)=写真=の第1話「一九八五年の夏、あたしたちはハタチだった」を読み終えたばかりだった。

 日本を脱出してロンドンへ行きたくて、20歳の「あたし」は「中洲(なかす)のクラブと天神(てんじん)のガールズパブを掛け持ちして」働く。

 「日本にあるのはあたしの人生ではなかった。(略)音楽と服とダンスがバッドな国に、生きるに値する人生などあるわけがない。/だから、あたしは日本にいるときはいつも死んでいた。死んでいるときに人間がすることは金を稼ぐことだ。再び生きるための資金を得るのである」

 「労働」を主題にした私小説、つまりは「私労働小説」というわけだが、この20歳のころの心情はわかる。

 私も20歳になる前、学校をやめて東京へ飛び出した。そのころの人間がやることは決まっている。住み込みの新聞配達、宿舎に入ってのビル建設現場通い……。

バイトのたぐいも含めると、「私労働」歴は小学校高学年の新聞配達に始まる。高専では家庭教師、東京では大食堂のボーイも経験した。

バイトをせずにアパートで寝込んだこともある。何をする気にもなれない。食欲もない。かろうじて本を読むことだけが生存している「しるし」だった。その本の中に『アデン・アラビア』があった。

その冒頭部分はこうである。1966年晶文社刊、篠田浩一郎訳。「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」

この書き出しに引かれた。冒頭の文章が学校を飛び出して都会の孤独に押しつぶされそうになったときの支えになった。

ところが……。「天声人語」の方は微妙に言葉が違っている。「僕はそのとき20歳だった。それが人生の中で一番輝かしい時期だなどとはだれにも言わせない」

「いちばん美しい年齢」と、「一番輝かしい時期」と。言葉のリズムからいえば、篠田訳は心地よい。

「輝かしい」方は誰の訳だろう。もしかしたら、篠田訳を踏まえての「らも訳」だったか。

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